青いひつじ

≫2007年04月

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マスターへの道

今日は職安OA講習を居残りして、
試験対策の講習を受けてきました。

今習っているのはマイクロソフトのWordです。
講習はWordスペシャリストというのを
取るための内容なのですが、

せっかくなので、
その上のエキスパートを目指すことにしました。

試験対策ということで、
ビデオを見ながら模擬問題をやってきたのですが、

すっごく疲れたー

頭を傾けると
知識がこぼれてしまいそうなくらい、
詰め込んできた~



問題の意味がわかりません。
「変更履歴」って何ですか?
e-mail要素のタグって何ですか?
Nomal上でリセットって何ですか?

ビデオの言う通りにすれば、
操作はできる、
というか
操作自体は本当に簡単なのだけど、

そして試験は
模擬問題の操作法を
覚えれば
受かるらしいんだけど、


一体この機能は
使うことあるのだろうか?
いつ使うのだろうか?
必要性がわからないよ。

必要性がわからないものは、
頭に入らないのだ(ひらきなおり)

いったい
こんなのが必要とされるような
仕事に就くことあるのかねえ? わたしは。
(多分ない)

まとめて受ければ料金が安くなるってことで、
申し込んだのだが、
まんまと釣られたような

とりあえず、
WordとExcelのエキスパートと
PowerPointとAccessのスペシャリストをとると、
「マイクロソフト オフィス マスター」ちゅうのに
なれるらしい。

マスターって…ジェダイかよ。

まあいい、
とにかくがんばる。

頭ヘロヘロだけど~
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進みたい。止まっていたい。

金曜に
スピリチュアルコーチたまちゃんお勧めの
「愛と桃舎」あぜさん&MIKAさん夫妻の
トークショーを聞きに行ってきました。

お二人は共に怒涛のクライエント時代を通じて、
ありとあらゆる方法を受けて&学んで、
身に着けた中から
自分たちの方法を編み出して来られてるのね。
(これからもそうなんだろな)

「(治るための)バイパスはある。
それに気づくと(エネルギー)の
流れが変わる」というの、
本当にそうなんだろうな、
スルッと変わるんだろうな
と実感できる。


やむにやまれぬ必然から
経験して、
そこから実践してるっていうのは
やっぱり強い。
お二人とも
すご腕って感じがしました。
今度セッションを受けてみようかしら。


トークショーが終わってから、
一緒に行った友人と話した。
彼女はわたしとは別のところで、
ボランティアカウンセラー(もどき?)の研修を受けてるひと。

自分たちの現状について、
沸いてくる不満を語り合ったです。


クライエントは変わってく。
回帰するにせよ、成長するにせよ、
変わらなきゃ治らないから。

それに関わる過程で、
カウンセラーも変わる。
クライエントとカウンセラーは
響きあって、影響を受けあっていくのだから、
必然的に変わらなきゃヘンだ。

その変わっていくカウンセラーが集まって
組織を作っているのだから、
組織も変わるはず。



でも
変わらない。

少なくともわたしたちには
変わらないように見える。

批判や新しい提案は
受け入れられず、
組織をより大きく、安定させることに
力が注がれているように見えちゃうの。


組織なんて、
二の次でしょう。
大事なのはクライエントでしょ。

そもそもクライエントのために存在している組織のはずでしょ。


お時間のできた奥様たち(がほとんどだと思う)が
勉強することで、自分のこころの何かに気づいていく、
というのが第一目的ならば、
それはそれでいい。
十分いい。


でも、その先は?

そういう自分探し(自分育て? 自分満たし?)と、
組織に属して
ボランティアカウンセラーとして活動していくこととのつながりが、
どうにもあいまい。



教わっていることは、
昔ながらの「傾聴」。
基本はそれだ、そのとおりなのだと思うし、
「ボランティア」で「公共性」のあるものだから、
責任の持てることしか教えないというのも
仕方がないとも思う。

でも、
それも常にブラッシュアップしていかなければ、
ただ「ハア、ハア」と聞き流すだけの
無難な時間つぶしになっちゃうんじゃないの。

そのときだけは、
「聞いてもらえた」と喜んで、
気が晴れるかもしれないけど、
すぐ元通り。
何も変わらない、治らない。

むしろ「聞いてもらうこと」依存症になるんじゃないの。



「ありがとう」と言われるけど、

「このひとに話をしても無駄だ。
でも、感謝の言葉を言うのが大人の礼儀だから」と

「ありがとう」と言ってくれるひと、
一杯いると思うよ。




中途半端。
効率悪い。
少なくともわたしにはそう思えてしかたない。


新しい、効果のある方法なら
どんなジャンルでもかまわないと
貪欲に追求しているあぜ夫妻のお話を聞いて、
わたしたちの状況の硬直性を
強く感じて
熱く語りあったのです。





もうひとつ、
トークショーを聞いて、
自分の心の中に沸いてきたもの…

わたしは自分にブレーキをかけている。


 もっと勉強したい。
 でもそれにはお金が沢山かかって、
 きりがないんじゃないか。


 普通の主婦でいたい、
 今の生活をこわしたくない。



進みたい気持ちと、ここにいたい気持ち。

たぶん、どちらも持っていていいんだ。

でもまだうまく統合できない。

優先順位は決まっていると
思っているけど、
本当にそうだろうか。
(いや、それはまだ考えたくないよ…)



自分はどうしたらいいのかな。

とりあえず、
お金を稼ごうとは思っている。

お疲れモード

職業訓練が始まって、今日で9日目。
疲れがたまってきましたよ~

今日からワード応用が始まって、
いきなり難しくなった。
ううん、
難しくはなくて、
一つ一つの操作は簡単なの。
でも
覚えることが細かく沢山ありすぎるよ

物覚えのよさには自信あったんだけどなー、
すでに頭の容量ギリギリって感じ。
今まで覚えたこと、
1回全部、外部ハードディスクに落としたいよ。


それから…
今まで数年間ボランティアばっかりやっていて、
周りの人に
「sheepsleapさんは、若い」
「まだ若いから、うらやましい」
って言われ続けていたの。

ホントに!

でもその方たちは
子育てが終わった
団塊の世代とか、
定年退職者の方が多かったんだよね。
年齢構成が偏っていたのだな。

今職訓を受けている中では
私が多分最高齢。
しかもひと回り以上離れている。

自分の娘みたいなひとたちに囲まれていると、
本当はわたしって
年なのよねえ~ '`,、'`,、(´▽`) '`,、'`,、実感するわ。

年は倍なのに、
倍かしこくも、
倍キャリアがあるわけでも、
倍成熟してるわけでもない、

あら困った、どうしましょうね




でも本当に
頭が良くて
人間的にもしっかりした
若い人が一杯いるんだな。
頼もしいな。

このひとたちはきっと
新しい職場でいい仕事をして、
いい人間関係を築いてくことでしょう。



わたしもついていけるように
ちまちまとがんばろっと


恥ずかしながら生き長らえて、帰って参りました

今わたしは元気です。
でもつい3ヶ月前くらいまでとっても調子悪くて、
家事もできず
「ウツなのかなあ」と思って
薬をもらいに行ったりしていました。
薬を飲んでも全然改善しないし…

そんなとき
アートセラピーに行きました。
(おととしから月に1回通っていたのですが)、
先生「sheepsleapさんもここに通ってもう1年ですね」
そろそろ次に進んだらと勧められました。

自分でもそう思うのだけど、
何でか全然やる気がでなくて、
家事もボランティアもさぼってばかり…
平穏無事な生活のはずなのに、
こんなに生きづらいと感じるのはなぜなんだろう?
いつも目の前にもやがかかっているような気がする…


先生といろいろ話しているうちに、
わたしの心のパターンが見えてきました。
それは
「いつもひとからの評価を求めていること」
「評価されなければダメだと思っていること」

「どうしてなのかしら?
なにかとてもプライドを傷つけられるような
ことが過去にあったのですか?」

「傷つけられる出来事…?」
先生に言われて
振り返ってみると、

こころの中に
ひとつの思い出が浮かびました。



中学2年の冬でした。
当時学校で「雪中運動会」というのがあって、
わたしは体育委員の子の手伝いをして、
クラス対抗そり引きリレーの名簿を作っていました。

リレーにはクラス全員が出るのです。
紙にクラスの人数分の空欄を書いて、
そこにひとりずつ名前を入れて行ったのですが、

どうしてでしょう。

ひとり名前が足りません。
空欄がひとつ余るのです。

体育委員は困って、
何度もクラスの名簿と照らし合わせるのですが、
どうしても足りないひとりの名前がわかりません。


わたしにはわかっていました。

足りないのは、
わたしの名前だったのです。

でも言えませんでした。
黙っていました。


体育委員の子とわたしは
仲良しだったのだから、
「あれ、わたしの名前がないじゃない?」
って、
軽く言えばいいことなのに、

言えませんでした。



どうして言えなかったのでしょう?

「自分はいてもいなくても同じなのだ」
とわたしは思っていたのです。

もしわたしが告げたら
体育委員は「ごめん、ごめん」と言って、
すぐに名前を書いてくれるだろう。
99.999…パーセントそうに違いない。

でも、もし、
もしも
無視されたら?
そのときわたしはもう立ち直れないくらい傷つくだろう。
その0.000…1パーセントの怖れが
どうしても捨てられなかった。





そうです。
「自分には存在価値がない」と
ずっと思っていました。

だから、
ひとから評価されることだけが、
「わたしを存在させる」方法だったのです。

評価されたいと思う一方で、
「目立ってはいけない」と思っていました。

自分の存在に気づかれたら、
傷つけられると思っていたのです。




そりリレーの名簿は、
ささいな出来事だけど、
それを象徴する出来事でした。

思い出して
わたしは号泣しました。
「ここにいるのに、気づいてもらえない」
それがとても
つらかったことがわかって。


でも
そのときもっと大事なことがわかりました。

自分で「存在価値がない」と思うことが、

価値がないのだからと
自分の感情や思いを無視し続けることが、

「ここにいるのに、いないふりをする」
それが
一番つらいことだったのだと。


「わたしなんて、たいしたものじゃない」
「わたしの気持ちなんて、どうでもいい」

そうやって、自分を大切にしないことが、
一番自分を傷つけていたと。


ひとしきり泣いたあと、
「そのときの自分に、『ごめんなさい』と言ってみて」と
先生に勧められ、
わたしは言ってみました。

心の奥から、答えはすぐに返ってきました。

「許しているよ。もうずっと前から」



わたしは今まで
「自分を許さなければならない」と
思っていました。

だめな自分、弱い自分、できない自分、
全部ありのままに受け入れなければならないと。

でもそれはとても難しいと思っていました。


わたしは間違っていました。
必要なのは
「許される」ことだった。

そして同時に
気づきました。
心の奥の「私」は、
わたしをずっと許してくれていたと。




わたしは横井庄一さんのように、
傷つけられることを怖れて、
ずっと洞窟に隠れていた。

洞窟の中から、
外を見ていた。
あそこには敵がいる、
恐いから出て行けないと思っていた。

でも
とうの昔に
戦争は終わっていた。

心の中の「私」はそれを知っていて、
ずっとわたしを呼んでいた。
「出ておいで、大丈夫だよ」って。


その声が、
やっとわたしに届いた。


気づいたら、
わたしは外に出ていました。

わたしは「私」と会いました。


  

1ヵ月後、
アートセラピーに行ったら、
先生に
「もう卒業だね」って言われました。

「今まで言わなかったけど、
sheepsleapさんは
何だかどんよりしたものを背負っていたの。
でも、
それが消えたね」って。

自分でもわかる。
とっても体が軽い。

これが自己一致というのかしら。
こんなにラクになれるのか。



今わたしは「私」と一緒にいます。
外に立っています。

寒い風が吹くかもしれない、
雨に濡れるかもしれない、
これからも
怖いこともつらいことも一杯あるだろう、

だけど、
「私」と一緒だから
もう洞窟へは戻らない。

ここにいるから、

大丈夫。

薄着でも大丈夫?

土曜日はフォーカシングの例会でした。

このごろOA講習会に行っていて、
楽しいながらも疲れて肩も凝っているので、
自分をねぎらいたいと思ったのですが、

フォーカシングしたら、
全然思っていないものが出てきました。

具体的には…
頭の上についている
みかんみかんのヘタのイメージ。

「かってはそれで枝から「つる」にぶら下がって、
栄養をもらっていたが、
今は「つる」はとれてしまって、
小さなヘタだけが残っている」
というもの。

その小さなヘタは
「生きもののしるし」

わたしが生まれてきたしるし、
育てられて、
育ってきたしるし。

わたしという「みかん」は
適度に育って
今はもう枝から離れていて、

「へた」の役目も終わったけれど、

頭の上にちょこんと残って、
「チャームポイント」になっている。

というイメージです。


何なのかなあ?これは。
「大丈夫、立ち止まらなくていい」っていう感じ?
わたしは自分が思っているほど疲れていないのかな。
疲れているのは「頭」だけ?
いやでも、ねぎらってほしい気持ちはあるぞ~

んで、チャームポイントってなにそれ?

といっぱい自己つっこみしたい気分ですが。



フォーカシングでは
安心できる雰囲気の中で、
自分の心の奥をのぞきこみます。
そこではいつも意外な「何か」に会い、
(無意識の中にあるものは、
意識がイメージするものより、
ずっと多彩で豊かなのです)

わたしはほっとして、元気をもらえるのですが、

その「何か」、
自分の中の一番やわらかい部分…
青い小さな芽のようなものは、
とても傷付きやすいものだと思っていて、

普段の生活では無意識に隠したり、
奥にしまって暮らしているわけですが、

フォーカシングなどで何度もそれにアクセスしていると、

それは傷ついても
枯れて死ぬということはないみたいだと
思えてきました。

一番弱いけど、
実はとても強い部分なのではないかと。

だから、
そんなに隠したりしなくても
大丈夫なのかなと感じましたです。

「わたしはそんなに弱くないよ」
と、それが言っているような気がする。
信じてみようか。


だからって、
ハダカで外を歩くわけではないけどね。
もう少し薄着になってもいいかな。
春だしね。

時は満ちる

先週から職安のOA講習に行っているのですが、
今日は休んで
いつもの電話相談見習いに行ってきました。

今日は手ごたえありましたさくら 1
でもそれはわたしの力と言うよりも、
どのタイミングでかかわらせてもらうかというのが
とても大きかったと思う。



あなたは大きな川べりに立って、
早い流れを見つめていたんですね。

「この川を渡ったほうがいいのだろうか」
「どうしたら渡れるのだろうか」
長い間、
考えあぐねて立ち尽くしていたんですね。

あるとき
ドンと背中を押されて、
「川の中に落っこちちゃうよ
と思ったとき、

あなたは気づいたんですね。
川の中に飛び石があることに。

あなたの家族や
今まで読んだ本の言葉、
積み重ねてきた色々な経験が
沢山の飛び石になっていることに。

飛び石をたどって、
あなたは川を渡り始めた。

迷いながらもだんだん渡って、
あと一歩で
向こう岸にたどりつくというとき

それが今日。
あなたとわたしは会えた。

あなたはわたしを踏んで、
軽やかに飛んで行きましたね。

あなたの勇気とやわらかさに、
わたしは感動して、
話しながら泣き声になりそうだった、
気づいていましたか。

最後の踏み石になれたこと、
とてもうれしいのです。

無事に向こう岸にたどりつけたかもしれない、
それとも川の中に落っこちちゃったかもしれない
わからないけど、

でもあなたはきっと大丈夫だと
わたしは思う。



今日わたしは
少し前のあなたにも会いましたよ。

渡り方を知らないあなた、
川のあることさえ気づいていないあなたにも。

どうしたら前に進めるのか、
どうしたら気づいてもらえるのか、
わたしも立ち止まって一緒に悩みました。


でも
時は満ちる。
いつか
誰にでも

渡り始めるときがくる。
たどりつけるときがくる。

あなたの家族が向こう岸で待っていますよ。
わたしもいます、
お祝いの花束を抱えて。


あなたにもらった勇気を飛び石にして、
わたしも川を渡ります。

待っていてくださいね。

こっそり更新

昨日から職安の講習に来ています。
で、今授業の間の休憩時間なのですが、
ここから更新していいのだろうか。
あとでチェックされちゃうかも

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