青いひつじ

≫2006年04月

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里帰りします

5月1日まで夫の実家に行ってます。
講演会チラシは、出版社のかたや増田先生と相談して、
グレードアップ中です。
じゃあ、行ってきま~す。

みなさんもよい連休を
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父より団子(ナルニア国物語によせて)

少し前、
ブログを読んでくれている友人達と会う機会がありまして、
言われたことには
「そんなに色々深く考えて辛くないの?」
「何だかおかしくなってない?大丈夫?」

ええー、ごめんなさい、心配させてたのね。
悪かったなあ。

それに、
昔からの友人に「怪しい奴」と思われるのはヤダなあ、と
ちょいへこんだのですが、


自分はやっぱり怪しいのです、
考えて、落ち込んで、そこから浮かび上がっていくのが
快感だ、というのは、
きっとちょっとおかしい。

でも辛くないです、楽しいです、
っていうか
辛いことも、楽しいことも、
同じく人生の彩りだ
、と味わえるように
だんだんなってきています。


多分これが、
わたしの「大丈夫」な状態、
ありのままの状態なんじゃないかと思うんで、
ちょい怪(ちょいあや)なわたしを、
生暖かく見ていてね~
壷とか売りつけないから。(^^;)

というわけで、今日もいっちゃうぞー!


しばらく前、
ナルニア国物語を見てきました。

とっても気に入りました。
まず、原作にはなかった冒頭の空襲のシーン、
空爆する側の飛行機のパイロットは、
対空砲火の雨の中、
わめくように指示を飛ばしあいながら、
必死で目標地に爆弾を落とします。

その爆弾が落ちた先に、
主人公の子供たちがいます。
こちらも必死で防空壕に逃げ込みます。

爆弾を落とすほうも、落とされるほうも
どちらも命がけ。
これが戦争だ!って感じました。

こんな命にかかわる状況下では、
兄弟の絆が通常よりずっと強く
ならざるをえないですよね。
うまいオープニングだと思います。

そうして疎開した子供たちは、
ナルニア国へ行き、
そこで戦いに赴きます。

現実の戦争から逃げてきた子たちが、
ナルニアでは、
みずから戦うことを選ぶのです。

そしてナルニアの戦いでは、

誰も死なないのです。
石になったものも、怪我をしたものも、
最後にはよみがえります。

その戦いを経て子供たちは、
大きく立派に成長していきます。

こころの中の戦い~成長のための戦いは、
何も失われることはない、
すべてとりかえしがつくのだ。
と、わたしは感じました。

現実の戦争は、そうはいかないですけども…。



原作は、子供の頃読みふけりました~

ぱっとしない普通の子が、
ナルニアに行けば、
王として、めくるめく冒険に出会う…
あこがれました。

アスランに会いたかった…


今思うと、
アスランって、理想のお父さん像じゃないですか。
強くて、何でも知っていて、
ピンチのときは必ず助けてくれる…
だからあんなにあこがれていたんでしょうね。

アスランがわたしの夢のお父さん。
現実の父にないものを、求めていたのですね。



そして現実の父は…

先日いくつか目の新しいホームの見学の帰り、
父はわたしに六花亭の花見団子をくれました。

「今ダイエット中なのに~」と思いながら、
家に持ち帰り、
なにげなく、その一つを口に入れたとき、

胸がジーンとして、
涙が出てきました。



その団子が超美味だからではなくて…


父の弱さがわかったからです。
初めてはっきりわかったのです。

「おれは自分で努力して、
認知症をここまで治した。
もう立派にひとりで生きていける」
と言いながら、

やっぱり私に頼ってくる…

私だけでなく、
たくさんのひとに支えられて生きている、
支えられなければ生きられない、

そんな父の弱さが
身にしみたのです。

とても暖かい感覚が、
わたしの体を満たしました。




お父さん、お父さん、
わたしもあなたと同じです。

ひとりでは生きられない、
強がってるけど弱い、

まぎれもない、
わたしはあなたの娘です。
ライオンの娘じゃない。
人間の、娘です。

お父さん、あなたが生きている間に、
この気持ちを語れる日は来ないかもしれないけど、

娘として、
最後まで、あなたにおつきあいしますよ。

これからも、がんばってね、お父さん。




もうわたしはナルニア国まで、
本当のお父さんを探しに行かなくてもすみそうです。

もひとつおまけに美巨猫新リンク

もひとつおまけに、
新リンク(というか勝手にブックマーク)
拓な毎日

こ、この子!
美しい。美しすぎるうううぅぅ(ToT)
初めて見たとき、「あ、ミルクだ!」と
思った。
うちのミルクと色合いは似てるし、
ミルクもずいぶん美猫だけれど(親バカ)
      ↓
20060426223124.jpg



拓君には かなわんわ。

この顔立ち、この気品、
まさに猫の王子だな。
ひれふしますっ! _| ̄|○

新リンクと猫の絵

=^・^=福ちゃん★クロちゃんとウクレレ♪

お友達のご主人がやっています。
その名の通り、
ある日運命の出会いをした、猫の福ちゃんクロちゃんと
ウクレレ?のサイト。
毎日美しい写真が楽しめる、とってもなごみページです。
わたしもここみたいに短く文章が書けるといいのにな…(^^;)

先日日本画展で好評をいただいた♪
これがその絵です
(fukukuroさま、写真とってくれてありがとうね~使わせてもらいました)
そして、これがご本人(ご本猫)です。
似てる?
とっても内気でおとなしい、
丸いボディと青い目が魅力の福ちゃんです。

今年はクロちゃんを描かせていただきます。
2枚並べて、家宝にしてくださいね(殴)

講演会準備連絡その2~

託児について
かでるの幼児室が3分の2面借りられました。
14人まで対応可能です。
託児スタッフはボラナビや、リンケージプラザや、
子育てふれあいサロンのかたたちに
つてを頼ろうと思っています。

来週月曜、リンケージに行って、
レクリエーション保険について、聞いてきます。

増田先生の飛行機チケット手配などは、
メールで出版社のかたと相談します。
今月中には手配しないとね。

増田先生がラジオ出演された
「子供電話相談室」の録音テープをいただいています。
増田先生のお話をじっくり聞きたい向きには、
ちょっと物足りないですが、
子供たちの質問が面白くて、かわいいですよ。
永六輔さんも出てます。
聞きたい方にはお貸しします。

増田先生のホームページが更新されています。
講演会のスケジュールに、
7月1日札幌の分が入っていますよ。
もうあとへは引けないんですね~

というわけで、
ずいぶんのんびりしてしまいましたが、
来月からは告知に忙しくなるでしょうね。
今のうちに、
家の用事は済ませておかないとならないなあ…

こーんな感じで、
ぼちぼちやってます。

講演会準備連絡その1~チラシが出来た?

増田修治先生の講演会準備、
えらく報告の間が空いてしまいましたが、
ひそかに進んでいます。


チラシについて
2週間前くらい前
そうだ「チラシ」を作んなきゃと思い、
あせり始める。

水曜日に見本を作って、関係者に見せ、
直しをもらう…居酒屋でビールを飲みながら…
こんなラフなやりかたでいいのかな、と思いつつ。
でも多分これがわたし流?

金曜にチラシ、一応こんなんでどうかしら、
というものが出来上がる。

今晩、増田先生と、出版社のかたに
チラシをメールで送って見てもらいます。

連休明けには印刷をあげたいなと思っています。

昨夜は作ったチラシを
ホームページにアップしようとして、
悪戦苦闘~玉砕。
そう!無料ホームページを借りたんです。
借りるのは、えらく簡単だったんだけど、
WEBページを作るのは、
よくわからんかった…。 _| ̄|○

あせってちゃいかんね。

斗水会日本画展覧会やってます

日本画教室の展覧会が
16日まで大丸藤井で開催中です。


11日の初日は会場当番で、
朝から動き回っていました。
わたしの参加ももう4年目。
パシリも身についてきて、
楽しく適当にやれるようになりました。

初日に来てくださったみなさん、
ありがとうございます。
知り合いが来てくれると
とってもうれしいものです


わたしの猫の絵は
「生きてるみたいだ、かわいい」と
好評いただいてます。
(ま、本人に向かってけなす人はいないですよね

午後7時まで(16日は6時まで)なので、
お暇があったらいらしてください~

バッカスの壷は涸れない

恥ずかしながら、

昔っから
わたしは
貯金ができなかった。

将来のためにお金を貯めて、
高価なものを買おうとか、
家を買おうとかいうよりも、

目先の興味に引かれて、
今欲しいもの、やりたいことに
ぱっぱとお金を使ってしまう。

我慢ができない。
結果、お金が残らない。


今はほしいモノはあまりない。
でも、やりたいコトが一杯あって、
セミナーだ、セラピーだ、コーチングだ、気功だ、と
興味あることにお金をつぎ込んでいる。

キリギリスだ。

お金の備えがなければ、
今はよくても、
将来困ってしまうときが来る。


老後ビンボー、

家も買えない、

それは困る。

でも、今やりたいコトを我慢するのも辛い。


そこで、

今回はお金をテーマにコーチと対話。

コーチ「sheepsleapさんにとって、お金とはなんですか?」

流れて行ってしまう、液体みたいなもの。
とどめておけない…そんなイメージが即座に浮かびます。

「宵越しの金は持たない」みたいな…
なにこれ、わたしは江戸っ子か?
ひゃー、まずい。こんな感覚を持っていたら、
貯金できるわけないじゃん。

「では、貯金するとはどういうことですか」

区分けしていくイメージ…

その液体みたいなもの(お金)を、
きちんと区切られた枠の中に入れて…

そう、
製氷皿みたいなものに注いで、
ひとつひとつのマス目に分けて満たしていく、

そして製氷皿が一杯になるような感じです。

「製氷皿?ならばそれを重ねていけますね」

おお!そうだ。それを重ねれば貯められますね。
やったー!

「ではそういうことをしている自分をイメージしてもらえますか?」

はい。やってみます。
なんだか机の前に正座して、
ちまちまと作業しているみたいな感じです…

あー、だめです、辛気臭い。

のんびりたら~んとしている今の自分と、
きちんとして区分け作業をしている自分のイメージが
うまくつなげられません。

うーん、うーん、できない。
なんだかしょんぼりしてきた…


「では、視点を変えましょう。
sheepsleapさんにとって、
豊かさとはなんですか?」


えっ、豊かさとは?
そりゃまた
難しい質問だなあ。

ええっと、
バッカスの壷です。

金色の芳醇な液体が限りなくあふれ出てくる、
それをみんなでわけあって、味わって
喜んでいるような感じです。

「つながる、とか流れる、というイメージが出てきていますね」

ああ、そうか、
今まで考えたことがなかったけれど、

わたしにとって、
豊かさとは、

みんなでわけあうものなのですね。

自分がたくさんのものを所有して、
貯めこんでいくというよりは、

わたしはパイプの役目をして、
そのパイプに多くのものが流れこんでは、
また流れ出ていき、
それがまわりをうるおしていく、

それがわたしの豊かさのイメージなんですね。


 貯金ができないことは
 悪いことだと思ってた。
 自分は道楽にお金をつかいすぎると思って、
 罪悪感を感じていた。

 でも…悪いことではないの?


「お金は世界の血液だ、という考えがあるんですけど、
どうでしょうか」


「世界の血液」
それだ!
だから、流れて当然なのですね。

お金を使うということは、
世界の身体に血液を流して栄養を与えることなのですね。
そう考えると、とってもイイ感じ!
元気が出ます。

「そういう視点から、もう一度、
自分のお金の使い方を見直してみてどうですか」


ええと、
わたしは
どういうことに対して
お金を使っているだろうか。

ひととのコミュニケーションを良くするために
勉強したり、
自分が生きやすくなるために
セラピーを受けたり、

そういうことに多くお金を使っている。


あれ、

お金が貯まらなくとも、
コミュニケーション力や、人脈が
貯まってきているじゃない。
それも立派な財産じゃないか。

自分のために投資しているんだ。
それはそれで良い使い方じゃないか。



あっ、そうだ。
パイプじゃなく、
なら
もっといいな。

どこかの(世界の)川からお金が流れ込んできて、
一時的に自分のところに貯まる。

そこからまた新しい川に流れ出ていく。

常に循環しているから、
沼のように、よどんで腐ったりしない。


流し出す先は、
自分で決める。
自分でいいと思うところに流す。

たとえば、
マクドナルドには流さないで、
身体に良いオーガニック食品を買うために流す、とか。
フェアトレードの製品に流すとかね。

自分が賛同するもの、
いいと思うもの、
価値があると思うものに流せばいいんだわ。


お金を使うということは意思表示なのだ。

わたしはこれが好きだから、
価値があると思うから、
大切だと思うから、
だからお金を払います、

という意思表示。
つまり、投票するのと同じなんだ。

たとえば、
先週「ウォレスとグルミット」を見に行って、
入場料を払った。

CGアニメ全盛の中で、
手間のかかる「クレイアニメ」を作っているひとたちを
わたしは応援したいと思っている。

払った入場料は、
「ウォレスとグルミット」に一票!ということなのだ。

一票を入れたい先は、沢山あるよ♪



でも、いいと思うもの全てに
限りなくお金を流すわけにもいかないな。
そうだ!
その湖の流水口にダムを作ろう。

お金の流出量を、ダムでコントロールすればいいんだわ。

「今はこっちに重点的に多く流そう」とか
「こっちは少なめにしよう」とか。

自分で決めて
コントロールすればいい。



それに、
全部完璧にコントロールする必要はないんだ。


だって、たとえば「情報」の出入りだって同じでしょ…

全然期待していなかったような
思わぬところからすごくいい情報が入ってくることもあるし、

わたしがふともらしたひとことが、
思わぬところで影響を及ぼしていることもある。

お金もそれと同じく、
なにげなしに、もれて行ったお金が、
思わぬところをうるおすこともあるだろうから。

少量のモレは、気にしなくていい。



解答その1:
お金は使っていい

何に、どのくらい使うかということを
真剣に、大事にすればいい。

自分が好きなこと、
価値あると思うことは何なのか、

よく考えて選んで、
「一票!」を投ずればいいのね。

お金はとても大切な、
わたしの投票権。
棄権せず、有効に使いましょう。



もうひとつ、
ナイスなことを思いついたわ。

貯金も、お金を流すということだと。

だって、銀行に預けたお金は
そのまま金庫の中にしまってあるわけじゃないよ。

どこかに投資されて、
そしてまた還って来る。

循環しているんだ。

預金通帳の額が増えるということは、
金庫の中に「sheepsleapさんのお金」と
名札をつけた札束が、
積み重なっていくということではなく、

自分の「お金の入れ物」が大きくなることなんだわ。


貯めたお金を下ろすときは、

どっかに流れて行って、
またどこかから還って来たお金を、

その大きくなった入れ物に、
一杯入れて「ハイ」って渡してもらうんだわ。
もとのお金がそのまま戻ってくるわけじゃない。


貯金したお金も流れている。
よどまない。
わたしの貯金は世界をうるおしている。

だから、

解答その2:
使うのもいいし、貯金するのもいい。
どっちもマル。OKなんだ!



お金は大事だ、大問題だった。

やっとすっきりした。


ああ、ありがたや。



ここまで読んでくれた方、
ありがとうございます。
でも、
「sheepsleapのとこは子供いないし、
二人家族だから、ラクだよね」
って思われた方も多いかもしれません。

確かにそうです。

だけど、
みなさんが普通に持っているもので、
わたしが持っていないものは、
とっても沢山ありますし

これは、
あくまでもひとつの価値観ってことで、
お見逃し下さい。

それにつけても、
お金は天下の回りもの。
大事に受け取って、
大事に流していきますね。

おやぢ噴火

展覧会初日が無事に済み、
今日は一日家で
ゆっくりしましょうと思っていたら、


キター! 
父が入っているグループホームから電話が。

「お父様がお怒りになってます」と。


前にもちょっと書いたけど
父はおととしの秋、
このグループホームに入った。
おととしの春、体調を崩して入院したのがきっかけで
認知症が出てしまい、

ホームに入居した頃は、
認知症テストの問題に全部ひっかかるほど、
典型的なボケ状態だった。

今質の低いグループホームのことが
いろいろニュースになっているけど、
父の入ったここは、
雰囲気も、スタッフの腕もかなり良いほうだと思う。

そのかいあってか、
父は回復した。

車椅子から、杖歩行になり、
今ではエアロバイクをこいでリハビリにはげみ、
階段も上れる。

頭のほうも、
入居した頃はウツっぽくボンヤリしていたのに、
今では日記を書き、
知り合いにケータイで電話したり、手紙を出したり、
このごろ「脳によい大人の何たらかんたら…」
というような本を、
何冊も買い込んで読んでいる。

ここまで改善したのは
スタッフの努力と
父本人の持ち前の強い向上心のたまものだと思う。


しかし、
喜んでばかりもいられない。

ボケが治っちゃった(?)父は、
この「認知症対応グループホーム」で
いまや完全に浮き上がっている存在なのだ。

一番困るのは、
父が他の入居者のひとを
馬鹿にして、悪く言うこと。

自分はいかに自立してしっかりしているか、
それに比べてあいつらは、
自分ひとりでは何も出来ず
いかにスタッフに負担をかけているか…
自分はあいつらとは違う、
あんな奴らと一緒にされたくない…

ホーム長に向かって、
「食事も着替えも排泄も自力で出来ないような奴と、
何も世話をかけてない自分が、
たいして変わらない利用料を払っているのは
納得できん!」と詰め寄ったそうだ。

あのさー、お父さん、
それが福祉というものなんだよ。
それにお父さんはサヨクでしょ、
弱いひとでも平等に普通の生活が出来るような、
そんな日本が理想だったんじゃないの?


やれやれ…


ともかく
この状態で父がグループホームにいるのは
父にとっても周りにとっても適切とは言えない、
ということで
最近新しい行き先探しを始めた。


グループホームは安全第一。
判断力の低下したひとが危険な目に会わないよう、
階段や玄関にカギがかかっていたり、
スタッフが常時巡回して見守っていたり。
父にはそれが我慢ならない。


自由がほしい!
と父は訴える。

新しい行き先は、
もっと自由度の高い、
有料老人ホームか
高齢者用賃貸マンションあたりに
なるだろう。

もう3軒ほど見て歩いた…
その矢先に今日の電話。


グループホームのフロアリーダーが言うには
最近父は「もうこんなとこにいるのはヤダ」
とイライラしてて、
くしゃみを飛ばすひとを大声で「うるさい!」と
どなりつけたり、
背中のまがったひとを、
むりやり!まっすぐに伸ばそうとしたり、
眠っているひとを「起きなさい」と
頭をはたいたり…したらしい。

そのため
スタッフの全体会議を開いて、
「お父様の『暴言・暴力』にどう対応するか」
話し合おうとしていた。
目的は「イライラをどう静めるか」
ということだったそうだけど、

その会議のレジュメを、父が偶然見てしまった。

そして、「暴言・暴力」とは何だ
と怒りの大噴火となった。

テーブルたたいて
怒鳴りまくったそうだ。

あー、お父さんたらもう…

わたしは急遽グループホームに行き、
父の言い分を聞いて、
なだめてきた。
そして明日、
もう2軒新しいとこを見に行くことに決めた。



ホーム側の「暴言・暴力」という表現は確かに
いかがなものか。
そりゃ、怒るわな。
しかし「自分は絶対に正しい」と
言い張る父にも困ったもんだ。


でもね、

先日新しい有料ホームを見学して、
帰ってきたとき、
グループホームの玄関に着くなり
父は「ああ、やっぱりここが一番落ち着くなあ
と言っていたのだ。

なんだかんだ文句を言っても、
このグループホームは、
父にとってはいごこちのいい場所なのだ。
だから、
ここを出て行くには、

大噴火するくらいのエネルギーが
必要なのだと思う。
大いに怒って、
その反動を利用して、
「ここを出て行く」という
気持ちを(無意識下で)固めようとしているんじゃないか
とわたしは思う。


自由が欲しいから、ここを出て行く。
たとえ自由が「危険」と隣りあわせであっても。
だけど、
新しい環境になじめるのか、
ここのようにいいスタッフが揃っているのか、
父は内心とっても不安なのだと思う。


自由=危険 と 制約=安全の狭間で、
父はどこに落ち着きどころを見つけるのだろう。

ひとに保護されている状況下で、
自分の意思を主張し続けている父。

しょーもないワガママおやじだ。

強い強い意志の力で、いつも上を見ている父。
ほんのちょっと視線を下に向けて、
足元のひとたちを思いやってくれたら、
と思うけれども…


ひとに頼るということと、
自分の力で生きるということの
バランスをどうとるのか、

ひとが最後まで自分らしく生きるとは
どういうことなのか、

父は
わたしにいろいろ考えさせてくれるなあ

それに、
わたしの理屈っぽいところは
やっぱり父譲りなんだなあ



それから、スタッフのみなさま。
父にいごこちの良い場所を提供していただき、
こんなに回復させてくださったことに感謝しています。

現場の人手不足とか、時間のなさとか
いろんな厳しい状況で
「安全第一、ご無事でなにより」が全てに優先するのは
わかっています。
でも、
父のケースはスタッフのかたたちにも
いろいろ勉強になると思うので…

めんどくさいと思いますが、
今しばらく、
きっちりおつきあいをお願いします。m(__)m

斗水会日本画展覧会

ええっと、今日からでございます。
わたくしが習っている日本画教室「斗水会」の展覧会が、
セントラル大丸藤井7階スカイホールで開かれます。

わたしったら、もっと早く告知すればいいのにね、
照れてるんだか?…すみません。

10時から19時までで、
最終日16日は18時くらいで終わります。


わたしは今年は1枚だけです。
でも、がんばったのですよ~

斗水というのは、
「ほんの一滴の水」という意味だそうです。
いいでしょ

ベテランの生徒さんが多いので、
札幌の教室展としては、
見ごたえがあると存じまする。
ついでの折がありましたら、
ぜひぜひご高覧くださいませ。

ではよろしくお願いします。

誰にも必要とされなくても その4

ありがとうございます。
やっとお父さんを手放せました…


と同時に、
自分がこれから支援の現場にかかわるにあたって、
もやもやとしていたものが晴れたように思います。

わたしは今、
ボランティア相談員の勉強をしていて、
今年現場に出るのですが、

どうして自分がそれをしたいのか、
いまひとつはっきりできずにいました。


また
ヘルパーの現場で、
「いいヘルパーさん」
「あなたがいないと困るよ」と
利用者から感謝されながら、
「誰かにとって必要な存在になること」に
はまって、
自分を犠牲にしても利用者のために尽くし、
あげくに
体や心を壊して去っていく人たちを見ました。

そうはなりたくないし、
そうならせてはいけないと思いながらも、

自分自身も、
ひとに必要とされたいから、
手助けしたいのではないのか?
ひとに頼られることに、頼りたいのではないのか。

長年わたしがこころに抱えている
「漠然としたさびしさ」
を埋めるため、
「ひとから大切にされたいことへの渇望」から
人助けに依存しようとしているのではないのか、

誰かにとって
なくてはならない存在になりたい、と思うこと、
それは
その人が自分なしでは生きていけないようにする
ということではないか、

つまり、「あなたのため」と思い込みながら、
人の心に侵入しようとしてるんじゃないのか、

もしそうなら、
ひどくたちの悪い「やさしい暴力」じゃないか、
その人をコントロールし、生きる力を失わせ、
私自身の魂も深くむしばむ、

それはいかん、いかんぞー!
と悩んでいました。


また、支援の現場で出合った、
仕事も家族も友人もなく、
生きている人たち、
これから先、社会の役に立つことが
あるのかと思える人たち、
この人たちは、誰かに必要とされているのか?
わたしはどうやってこの人たちとかかわっていけばいいのか、
と迷っていました。



でも今なんとなく光が見えてきました。

人に必要とされることと、
人に大切にされることの違いがわかったような気がします。


たとえ誰にも必要とされなくても、

生きている、存在している
それだけで、
大切なのだと。
大切にされる価値があるのだと。


みなさんのおかげです。

自分の命が本当に大切だと思えるようになったのです。
そうしたら、
人の命も対等に、大切に思えてきたのです。


今春、思い切って、現場に飛び込みます。

誰にも必要とされなくても その3

(つづき)
ひとしきり話した後、
コーチのすすめで
父に対する感情を、自分の体の感覚として味わいます。

以前の夫に対する怒りよりも、
父への感情のほうが、ずっと根深い、
だから、
きっとすごいものが出てくるに違いないと思いました…

父への反発、怒り、愛情への飢え… … …、

 あれ?
 何でだろう、
 味わっても
 イヤな感じがしない。
 苦しくない。


…肩の上に何か感じます。
ふわりと何かがかかっているように暖かい。
おなかがポカポカする、
手先が暖かい、
足先も。

 ありゃー、ヘンだなあ。
 味わいかたが足りないのかも。
 よし、もっと味わおう、


ああ、
やっぱりイヤじゃない。


この暖かさはわたしのおなかの中心から湧いてきて、
それが手足の先までいきわたっている。
わたしの体中が暖かさに満ちているんだ。

肩にかかっているのは、

誰かのやさしい手のようです。
ふんわりと肩を抱いてくれています。


その時感じたのは
「もうお父さんは、いらないんだなあ」
ということでした。


成長過程で
父親とのかかわりが欠けていると、
社会とのかかわりがうまく出来ないと言います。

わたし自身がまさにそれだと思っていました。
ずっと何十年も。
外側は努力して、普通に装っていても、
わたしの中心に、何かが欠けていると思い続けてきました。

でも、
誰かが、それを補ってくれていた。
今まで出会った周りの人たちが、
わたしに社会とのかかわりかたを教えてくれていたのです。
肩に乗せられた手は、
その人たちのぬくもりでした。

わたしの「欠落」はもう埋まっていた。
父がいなくても、
周りの人に育てられ、
命のエネルギーがからだに満ちていた。

みんなのおかげで、
わたしは
自分で生きていける人間、
大人になっていたのです。

ありがたい。
ありがとうございます。

誰にも必要とされなくても その2

(つづき)
コーチに向かって、
父とのかかわりで印象に残っているエピソードを語りました。

昔…

(こんなこと書いていいのか、
まあいいや、書いちゃえ)

昔、わたしが自殺未遂したときに、
父が言った言葉
「子供に死なれた親が、
どんなに恥ずかしく、
世間をせばめて生きていかねばならないか
わかっているのか」

そのあとのこと、
わたしは大学をやめようと思い、
父に報告しに行きました。
父は何も言わなかった。
ずいぶんたって、
「お父さん、あの時は何も言わなかったね」と
いう話が出たときの、
父の言葉。
「あの時は、あんたがすごい剣幕でやって来たから、
おれは怖くてなにも言えなかった」


ちょっとひどいですよね。

父は純粋なんです。
自分自身の気持ちにすごく正直なのです。
でも人の気持ちには無関心。

父は自分の信念に従って生きていて、
その手伝いをしてくれる人は、
好き。同士。

でもそれ以外の人は、
無関係または敵。


もうひとつ、
とても悲しかったことを思い出した。

母が心臓発作で急死して、
お葬式、納骨の後、
母の好きだった大雪山へ
分骨しようということになりました。

母の「のどぼとけ」の骨をフィルムケースに入れて、
父と弟と3人、
車で山に向かいました。

ロープウェーに乗っている間に
涙が出て来て、
止まらなくなりました。

ロープウェーを降りると、
父は先に立ってどんどん歩いていきます。
すごい速さで。

わたしと弟は後を追いますが、
ふたりとも泣いて泣いて、
のろのろとしか歩けません。

そのうちに父は
高山植物群の茂みに近づいて、
立ち入り禁止のロープの中に入ってしまいました。

森林パトロールの人が近づいてきて、
わたしと弟を追い越して、
父を追っていきました。

パトロール員が呼びかけても、
父は振り向きもせず、
どんどん茂みの中を進んでいきます。

会話が聞こえます。
「あの親父、困ったな、あんなとこ入っちゃって。
聞こえないのかな、おーい、おーい!」

わたしと弟は後ろから彼らに、
「実はこういうわけがあるのです…」と
説明したくても、
口を開くと「うぐっ」「うぇっ」と
嗚咽がこみ上げてきて、
言葉が出せません。

後も見ず、入ってはいけない所にどんどん進む父、
それを追うパトロール員、
そしてよろよろと続くわたしと弟。
三者の距離は、
無限に遠く、決して縮まらないように思えました。

結局父はパトロール員につかまり、
抗議しながらも引き戻され、

母ののどぼとけは、
姿見の池のケルンの隙間に
置いてきました。

悲しかった。

母を突然失ったのは、
もちろん悲しかった。
でも
一番辛かったのは、
こんなに悲しいときでさえ、
父とはその悲しみを分かち合えないのだ
ということだったと、
今にして思います。

父とは決して分かり合えないのだと。



父と分かり合いたい。
それが私のテーマでした。
もっと言えば、父に愛されたかった…

ここ2年、
カウンセリングの勉強を始めたのも、
ヘルパーの資格をとったのも、
そのきっかけの根っこには父がいたと思います。

父と分かり合いたい。
いつかきっと分かり合える。
そう思って努力してきました。



父が体調を崩してボケて、
グループホームに入り、
わたしは父の後見人として、

父にとって必要な存在になりました。
あいかわらず自己中で、
わがままな人ですが、
たまには「ありがとう」と言ってくれます。

でも感謝されていても、
父とかかわればかかわるほど、
「この人はわたしのことを何とも思っていない」
と感じさせられもしました。

今のわたしは父にとって、
トラブルメーカーのだめな子供ではなく、
自分の役に立つ必要な人間だけど、

父は「ありのままのわたし」を
受け入れてくれているわけではないのだと。

そうして、時には怒り、時には落胆し、
釈然としないまま
父の援助を続けてきた…

コーチに話したのはそんなことでした。
(つづく…)

誰にも必要とされなくても その1

お久しぶりです、3週間もブログさぼっちゃった。
みなさまおかわりありませんか。

わたしはといえば、
義父の法事は無事に終わり、
人と会ったり、バイトしたり、
外では元気に活動していたのですが、

家に帰ると…
ネットオークションにはまって
現実逃避してました(^^;)
やることいろいろあるのに。

このところずーっともやもやと、
胸の中にあったテーマの答えが
なんとなく
見つかったのですが、

その答えを見つめるのがおっくうだったのです。
アウトプットするのが怖かったのです。

でも、これを書かないと
どうも先に進めないみたいなんで、

書きますね。

そのテーマとは、
「ひとに必要とされることと、
ひとに大切にされることの違い」


うわ、
やっぱり言葉にすると
怖い。
こんなこと書いていいのか。

でも書く。

以前父のことをちょっと書いた事があります。

父は自分の左翼政治活動に打ち込んでいて、
家族とは没交渉だったこと。

家にいても、いないも同然だったこと。

父の「精神的不在」が、
わたしの根っこにある「漠然とした寂しさ」
と大きくかかわっているように感じていること。

そんな父が今では認知症になり、
わたしがキーパーソンになって
世話をしているが、
父はあいかわらず自己中心的で、

「わたしにはこの人はなんにもしてくれなかったのに、
どうして
わたしはこの人のために
心を砕いていろいろしてあげなければならないの?」と
感じてしまうこと…



前回のコーチングでわたしは、
「夫に対する怒りの感情が、
(心の中で)
 自分の変化の大きなエネルギーに転換する」
  =『ネガティブな感情が
    ポジティブなエネルギーに転換する』

という劇的なフォーカスチェンジを体験したので、

(あの感動をもう一度、って感じで(^^;))
今度のコーチングでは
ずっと父に対して持っていた
釈然としない感じ、不満、嫌悪感などを
なんとか
良い方向に転換できないかと
チャレンジしてみたのでした。
(つづく…)

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