青いひつじ

≫2006年03月

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行ってきます

いやー、ばたばたしております。

今日から4日間義父の法事のため留守にします。

デカいサイズの喪服も手に入れたし、
荷物をまとめたし、
向うでやる内職(テープ起こし)の道具も持ったし、
洗濯して、掃除機もかけました。
わたしの仕事はやっと一段落。
あとは猫をカゴに入れるだけ。

今は、夫が持って行く本を
ダンボール5箱をほじくりかえして
探しているところです。

二人とももっと早く準備に手をつければいいのにね。
出掛けにバタバタして、
「あ~、なんとか間に合った。よかった~」っていうのが、
一種の快感になっちゃってるのかも。
でも、そんなのイヤね。


とにかく、行ってきま~す。
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好きになったら

今日は年に一度の総会の日。
わたしはお当番の手伝いで、
お茶出しやお弁当配りなどをしながら、
顔を合わす先輩や役員のかたたちにあいさつして回った。


いやー、どうもどうも。
お世話になってます、
よろしくお願いします。


ニコニコと頭を下げて回りながら、


ふっと、
自分は何をしてるのかなと思った。


声をかけてもらえるのは、
顔を覚えてもらえるのは、
うれしい♪
無条件にうれしい。


でも
声をかけてくれるひとに対して、
わたしは
期待に応えなくちゃ、
もっともっと必要な存在にならなくちゃ、と
過剰に反応してやしないか?



それに、今日のわたしには
どうも下心があるのだ。


このかたに親しくしてもらえば、
講演会の成功に力を貸してもらえるかもしれないから。
今後、自分がこの業界(?)で生きていくために、
何かと得だから。
だから愛想良く。


もちろん、誰にだってそんな気持ちは
あるだろう。
ごくあたりまえのことだろう。
わたしは不器用な生き方にこだわりすぎている。


でも、
社交辞令の笑みをうかべてる自分は
なんだかスッキリしない…


期待に応えるために笑うのでなく、
損をしないために笑うのでなく、


芯から笑いたい。



どうしたらいいのか…



そっかー、
好きになればいいんだ。


ここには、
たくさんのステキな先輩がいる。
見習いたい、学びたい、
あの人とも、この人とも、
もっとお近づきになりたい。


近づけばいいんだ。
もっと知ればいいんだ。


知れば好きになる。


好きになれば、笑える。


本当に好きな人に会ったら、
腹の底からニッコリしちゃう。


勇気さえ出せば、
近づく機会は
いっぱい用意されているんだから。


チャンスだ!

地殻変動

いつもどおりの平和であわただしい朝。

でも
車の中で言い合いが始まり、
「朝っぱらからイヤな気分になるようなことを言うな」と夫。
「そんならどうすりゃいいの」とわたし。

「ただニコニコして、
ハイハイって言ってればいいから」と夫。

それでいいの?
それがあなたの言う「大人になれ」ってことなの。

「子供みたいにベタベタするな」
「子供じみたヒスを起こすな」って、あなたは言う。

なんだか納得できない気持ちを抱えて、
電話でのコーチングに臨んだ。


一週間ちびちびとではあるが、
お片づけを続けたことを、
コーチは手放しで誉めてくれる。

コーチ「続けられた秘訣って、何でしょう?」
わたし「んー?片付けようとすると、
いろいろと邪魔が入ったのです。
逆に、それゆえに続けられたのかも…」

そうなのだ。
今までも身辺整理をしようとしたことは何度もある、
そういう時に限って、
いろいろな邪魔が入って、
気持ちが萎えて、あきらめて
中途半端になっていた。

今回も、
夫の悪行のほかにもいろいろな雑事が重なり、
片付けに没頭できないような状況になった。
しかし、
わたしは思ったのだ。
「やっぱり邪魔が入るのね。
これは、わたしが片づけを続けているしるしだわ」

片付けに限らない、
自分にとって良い変化を起こそうとするとき、
必ず障害がたちはだかる、
(って言うほど、大げさなものじゃないかも知れないけど)

逆に言えば、
障害が出るということは、
自分が良い方向に向かっているしるしだと、
わたしは
今までの経験から実感するに至ったのであーる。
なので今回は続けることができたのであった。
(えらそう)


今回入った「邪魔」について、
夫とのやりとりをぶちぶちとコーチに言う。

夫との生活は、
ゆるゆるで
ぬるま湯のようにいごこちがよい。

でも、
こんなにゆるいのは、
やっぱりイヤ、
もうイヤ!


「もうイヤ、っていう感じはどんなふうですか?」
「肩から胸、胃にかけて、つっぱっているような感じです」
「もっと味わってみてください」
「はい」

う、苦しい~
息が詰まるような感触が何度も繰り返し、
やがて、それははっきりとした形になった。
肩、胸、お腹を結ぶY字型に、
なにかがもりもりと出っ張ってきている。
これは!

「これは筋肉みたいです。ムキムキマンのように、
筋肉がもりもりとついています。
超人ハルクみたいに、
服もやぶけちゃいそうな感じです」

「ではハルクになって、上空から見渡せますか」

眼下には…
「海の中の火山島が見えます。
火口を見下ろしています。
島は大きくなっていきます」

水が引いて、
陸地が広がっていく、
しっかりとした硬い大地が、
どこまでも広がっていきそうだ、
地面が揺れている、
地殻変動が起こりそうだ…


どこまで行くの?
夫は大丈夫なの?
ちょっとこわい。



でも、変わっていくのだから、
しょうがない。


わたしは力をつけちゃったのね。
今まで着ていた服は、もう小さすぎる。

いつもニコニコして、ハイハイって言うことを聞く、
そんなかわいいペットや、
やさしいママではいられない。

わい(Y)はハルクやで!(なぜか関西弁)


今までの器には、
もう収まりきれない。
確実に、わたしは変わりつつある。

コーチの声は、なんだかはずんで聞こえた。
もしかして、
コーチはこれを待っていたのでしょうか。


夫に対するちんけな怒りと思っていたものが、
自分の力の突破口だったとは、
本当に地殻変動並みの驚きだった。

怒りは力のひとつの形だった。
でも違う形にも出せる、
もっとポジティブな出し方ができる、
良いことに使える、


いろんな形に変えられる
粘土のような

そんな力を、私はいま手にしている。

お片づけ週間 6日目 ピノ一個で、の巻

前夜は「夫にかまわず片づけする」、
と言いながら、
朝になるといつもの休日のように、
夫のそばにはべり
一緒にテレビを見ていた。



怒るのに疲れてしまった。
もうエネルギー切れで、
感情の嵐はこのままフェードアウトするのかなあ。
と思いつつ、
まだピリピリとした怒りは残っていて、
ときどき会話の中に棘が混じる。


昼過ぎ夫が床屋へ行き、
肉まんを買ってきた。
二人で分け合って食べる。
これもいつもどおり。


その後で、
冷凍庫の中を見たら、
ピノが入っていた。

ピノ…小さな箱に6個入りのチョコがけアイス。
チョコ好きのわたしがコンビニでいつも買うのを
夫は見ていて、
肉まんと一緒に買ってきていたのだ。


冷凍庫の中でちんまりしているピノの箱を見た瞬間、
わたしの中で、
何かが溶けた。

頭の中で
「フニャフニャフニャ~~ン」と効果音が鳴った。
怪獣ブースカが「シオシオのパー」と言った。



ゆるい

ゆるすぎる


何で怒っているのかわからないけど、
妻がヒスを起こしているから、
とりあえずピノでも買って
怒りの嵐が過ぎ去るのを待とうとしている夫…


そして現実に
たった一個のピノで、
心なごんでしまうわたし…



神は粘土で自分に似せて、人間を作りたもうた。
最初のうちは、気合を入れて、
きれいなの、かっこいいの、立派なのを作ったが、
だんだん疲れて、めんどうになって、
最後は「まあ、こんなのでいいべさ」と
雑にコネコネし、チョンチョンと適当に目鼻をつけて、
「はい、できあがり~」。


俺たちは、その最後のほうの人間だなあ、

以前夫と話して笑いあった-


-そのことを思い出した。
わたしたちは、
神が適当に作っただけでなく、
もともとの材料の粘土も、
余りモノで、水気が多い
ゆるゆるの粘土だったのではないだろうか。


そんな二人が一緒になって
ああ、ゆるゆるなんだ、
ゆるゆるの夫婦なんだあ~
どんな激情も、けじめも、
ゆるゆるの粘土に溶けてしまうんだ~
ああもう、しょうがないんだ~
これまでも、
これからも…



すっかり腰抜けな気分で、
夫に礼を言って、
ピノを一気食いした。


(それでも
お片づけ本日の成果:
夕食後、夫とテレビを見つつ、
段ボール箱一個分の書類を
片付けた)



(続く…)

お片づけ週間5、6日目~がっくりの巻

昨日(5日目)は小樽にアートセラピーを受けに行きました。

先生が用意してくれた課題は、
火山が爆発する絵を描いて、
誰かに対する怒りを表現する、というもの。

わたしはまさに夫に怒っており、
この怒りを今回のセラピーのテーマにしようと思っていたので、
この課題はグッドタイミング。

ドッカーンと噴火する火山の絵に色を塗り、
思う存分塗ったと思ったところで、
先生に見てもらいます。

「どす黒くて、長年持っていた怒りのようですが、
タッチがそれほど荒くないので、
そんなに激しい怒りではないようですが?」

確かに…昔からためこんでたものがある。
でも、お互い様のとこもあるからー
夫のほうもわたしにもいろいろ不満があるだろうからー

怒りの中にあきらめも混じっている…


怒りを表現してちょっと落ち着いたところで、
次は
夫の良いところを絵に表現してみます。
わたしが書いたのはオレンジと黄緑色のだるまのような形。

夫の良いところは
だるまのように安定しているところ、
とわたしは思っているのです。
そして、
オレンジと黄緑は
子供のような純粋さを表しているそうで、
それゆえに、
思ったことをズバズバ口に出して、
人を傷つけたりもするのですね、なーるほど

と、

気持ちが一段落して帰ってきましたが、、

が、、


昨夜やんわりと行動の改善をお願いしたわたしに
夫は言いました。
「いい年して、ベタベタするな。
 いいかげんに大人になれ。
 俺に文句言うな」


今朝は目が覚めても、
「どうしたら夫とコミュニケートできるのだろう。
 もうムリなんじゃないか」
と呆然としていました。


そして、

さらに夫の悪行が発覚。
頼むから行かないでほしいと言っていた悪所に
平気で行っていたのです。


許せない。
くやしい。
子供なのはどっちだ。
甘く見るにもほどがある。

腹が立ちすぎて、がっくりきて、
ぼうっとしています。



わたしは家出します。
と言っても
こころの家出です。

だって、
現実の家出は、
生産的じゃないから。

いまわたしにはやりたいことがある。
それを投げ出して、
家を出るのはいやだ。

夫に対する怒りと嫉妬で
こころが一杯になっていたら、
夫が私のこころの御主人様になってしまう。

そんなのダメダメ。
私の御主人様はわたしだ。
わたしの生活は、
わたしが守らなくてはならない。



明日は一日
夫にかまわず
片づけをするのです。


結婚生活というものは、
愛情を学ぶ場ではないのかもしれない、

今まで愛情と呼んできたものは、
ほとんどが執着と依存だったかもしれない、

そして、執着と依存の果てには
救いはない。


そんな想いも一緒に
片付けていきます。

お片づけ週間 4日目~めんどくさいの巻

昨日は4日目。
午前中は「喪服」を調達すべく、
ネットをうろうろ。

この19日に義父の一周忌の法要があるのだ。

わたしはここ2年で急激に太った。
今までの喪服は、去年の葬儀のとき
すでにパッツンパッツンだった。
それからさらに体重が増えた今、
もはや着られない状態。

新しいのを用意しなければ。
しかし、この体重高止まり状態を
この先も維持する気はさらさらない。

絶対やせる

なので、大きいサイズの喪服は
今回だけ着られればいい、
できるだけ安いのを調達しよう…
と思って

ヤフーオークションやら
格安通販のサイトをあっちへこっちへ。

何とか1万円以下のを見つけて注文。

ふう~

デブって疲れる…



しばらく休憩した後、
片付けにとりかかる。
本日の成果はレジ袋にして2袋分。
中身のほとんどが、ゴミになった。

片付けを続けて、
とっておく&処分するの基準が、
自分の中で少しずつはっきり見えてきたような…








そしてその夜のこと、
夫のささいな一言が、
わたしの怒りに火をつけた。

「めんどくさい」と夫は言ったのだった。

その後、わたしは台所で
洗い物をしているうちに腹が立ってきて、
皿を一枚割った。

のしのし歩いて夫のところに行った。
「めんどくさいとは何よ」
「じゃあ、わたし、法事に行かなくてもいい?
めんどくさいんだけど」


全く理屈になってない主張だけど…
でもめんどくさい。

自分がデブったせいとはいえ、
新しい喪服を探すのはめんどくさい。
夫と自分の荷物をそろえて、
猫を連れて泊まりに行くのはめんどくさい。
親戚ご一同様の前で、
理想の嫁を演じるのはめんどくさい。
法事が終わった後も帰れずに
4日間も夫の実家で過ごすのはめんどくさい。


ああ、
いい嫁だ、実の娘のようだ、と
かわいがられているのに、
こんなこと言ったらバチが当たる、
でも、いいひとぶるのは疲れるの~


ここ数日、めんどくさいと思いながら
片づけを続けてきたこと、
そして、長年心の中にくすぶっていた
「めんどくさがりや」の夫への不満が

爆発!!

「何がめんどくさいのよ。
あんたなんか、
家ではテレビ見て寝転んでるだけじゃないの。
あんたなんか
夫じゃない、ただの金づるだあ~」





なんでわたしがこんなに怒ったか…
夫は言ったんです。
「おまえとHするなんて、めんどくさい」って。

確かにわたしは
ぴちぴちギャルならぬ
でぶでぶおばさんですよ、
でも
あなた一人を心にかけて、
おそばにはべっているんじゃござんせんか。

なのに、なのに
ゆるせん。
たたっ切ってやる!

もとい。
片付けてやる!

おかたづけ週間 3日目

昨日(3日目)の報告。

マスクしていてもやっぱりホコリは苦手なのよう。
というか、
モノを動かすとホコリが立つ、
そんな我が家が悲しい。

昨日も吸入して午前中はウトウト寝てました。
こう毎日書いていると、
わたくしの日常は、
とても気楽なようだが、

実際半分はそうなんだが、
半分は苦しいのですよ。
(誰に言い訳してんのか…(^^;))

喘息やらウツやらの薬のおかげか、
つい二度寝してしまう癖がついていて、
動き出すのは午後からで、
夕方になってあせりだす、という毎日。
一日の半分を無駄にしているような…。


えーっと、それでも午後から
残ったカゴ半分と、
投げ込みボックス1個カラにした。

紙を整理しながら、
「どうしてこんなにためちゃうのかなあ」
「なんでこんなにいろんなものに興味を持つのか」
「どうもすっきり分類できない」
「捨てようかどうしようか、決心がつかないよ」
いろいろな迷いが胸をよぎる。
そんな気持ちも一緒に整理するように
黙々と作業を進める。

時間がかかります。

極めつけは、
古い日記の発掘
断片的にノートに書いたものが、
あちこちから出てくる。

○年前の自分はこんなこと書いていたのか、
はずかしい、ほほえましい、
おお、ここに書いている夢は今実現しているなあ、
あ、これは今も同じこと考えているな、
進歩してるところと、してないところと…

フムフム

待たれい
こんなもの読み始めた日にゃー、
何年かかっても終わらんぞ!

とりあえず封印だ。
今のわたしにはおまえを紐解く余裕はない。
いつかちゃんと1冊にまとめて整理してやるからな。

今しばらく、ここに埋まっていておくれ、
ナンマンダブ ナンマンダブ …

紙類の整理をしながら、

昔の自分を、
掘り返してホコリをはらったり、
捨てたり、埋めたり、宝箱(保存用ボックス)にしまったり、

不思議な世界に入っていく?わたしなのであった。

(あと多分五倍ぐらいあると思う)

おかたづけ週間 2日目 

2日目(昨日)の成果…カゴ半分の書類を整理

おとついの夜掃除したせいか、
喘息が出て、
薬を飲んだら昼過ぎまで寝てしまった。
有償ボランティアの研修会に出るはずだったのに~

しかたないので、そっちはパスして、
日本画教室に行った。

夜家に帰って、
最近の紙類をとりあえず投げ込んでいたカゴの
中身を整理。
半分カラになりました。

道は長いなあ。

夢日記

今日はわたしの結婚する日だ。

歩いていると、
白無垢を着て角隠しをかぶった花嫁が
ジェットコースターの座席のような箱の中に
(なぜか地面と水平に)
2人ずつ並んで収められているのを見る。

それを見て、
わたしも3時間もじっとしていなくてはならないんだわ、
と思い、

その前に、と

白い内掛けをはおって、近所の家にトイレを借りに行く。

でもトイレは混んでいて、人が並んでいて、
なかなか入れなそうだ。
 

そのうちに、うちの爺や(なぜか藤岡琢也)が迎えに来たので、
いったん家に戻る。

(そのうちに、結婚式はわたしのではなく、
旧家のお嬢さん(鈴木京香)と料亭の跡取り息子(細川茂樹)の
結婚式に招かれた、という設定に変わっていて)

次の場面では式が無事終わったらしく、
みんなで調理場で食器を洗っている。
花嫁、花婿とその父母、
わたしのほかにもお手伝いする人が2,3人いて、

みんなでなごやかに談笑しながら洗い物をしている。
大勢でやるので、あっと言う間に片付いていく。

早く終わらせ、気を利かせて、
花嫁花婿を二人きりにしてあげなくちゃね、
とまわりのひとは思っている。


早く、すっきり
お片づけしたい願望が出てますなー

夢占いで見ると
結婚も、白無垢も、食器洗いもよさげな感じ。

でも、
「近所にトイレを借りに行く」のは
浮気のシンボルだとか?

むう~?

そんで、なんでオダギリジョーじゃなくて、
細川茂樹なのかしら。

おかたづけ週間 1日目

今朝電話でコーチングを受けて、
今週を「お片づけ週間」と定めました。
わたしんちで一番多く、散らかるもの、
それは

ダイレクトメール、請求や領収のお知らせ、
お勉強のノートや資料、
趣味のパンフレットやボランティア関係の書類、
毎日毎日たまるのです。
父の関係の郵便物を、うちあてに転送するようになって、
増える速さに拍車がかかり、

棚の上だの机の上だの、部屋のあちこちに
紙の山ができ、
やがてそのまま分類されずに「とりあえず箱」行きとなり、
さらに「とりあえず箱」が増えていく…

悪循環なのです。


きちんとしたい気持ちが強い。
たとえばダイレクトメールを捨てるにしても、
封筒の宛名部分はシュレッダーにかけ、
中身の紙はリサイクル用の箱に入れ、
ビニール窓付きの封筒はゴミ箱へ、
と、きちんと分類して捨てたい。

しかーし、
わたしはまめじゃない。
気づいたときにちょっとの時間を見つけて整理する、
そういうこと、できない。

わたしがいろんなことに興味を持ち続ける限り、
紙はたまり続ける。

完全主義で、腰が重く、好奇心は旺盛。
これぞ、散らかし3点セット!


しょうがないので、
この3点を受け入れて、


外出の予定が少ない今週、
えいっ!
とまとめて「紙のお片づけ週間」にする。
とコーチに宣言しました。

そしてモチベーションを保つために、
(自主的に)毎日レポートを書くことにしました。


第一日目の今日………
すみません、やってません。
パソコンで「少年犯罪」について
あちこちのサイトを見てました。

いろいろ見てみたとりあえずの感想ですが、
「少年犯罪」とくに「凶悪な少年犯罪」は
集計されるデータ量として増えてはいない、
むしろ減っている、
なのに
「キレやすくて危険」
「ゲーム脳で脳がこわれている」とか
いろいろ言われるのはなんでなの?

前に
『子供にアンケートをとったら、
多くの子供が「人は生き返る」と答えた。
それはゲームで「リセットできる」という経験をしてるからだ。
いのちのかけがえのなさがわかっていない」
というような論調がありましたよね。

でもそれってウソみたい。
データの数としては「生き返る」と答えた子は全体の15パーセントくらい、
「生き返る」理由として「リセットできるから」と答えた子は
さらにその7パーセント。
つまり、全体の1パーセントくらい。
100人にひとりですよ。
きょうび、ほとんどの子がゲームをやっている
(と思う、データないですけど)のに、
100人にひとり。

なのに「いまどきの子はゲームのやりすぎで、
人間もリセットすれば生き返ると思っている」
って言えるのか?

なんか青少年を異端、とか悪人と思いたいんかい?

これじゃ「嫌韓流」ならぬ
嫌青少年流」じゃありませんか?


1日ネットをさまよって、
とりあえず
そんな疑問がわいてきたのでした。

あと、デスノート映画化!のサイトも見たのだった。
藤原竜也が月なのはイイじゃん
でもLはオダギリジョーのイメージなんだけどな?
とか。
ミサミサって、わたし(おばさん)にはイヤなタイプだけど、
お若いかたには人気あるんだなあ、
とか。


しかし、
今日はこんなことしてるはずじゃなかったんだ _| ̄|○
今からでもちょっとでも片付けます。(3月6日21時43分)



追記:
昨日はそのあと、掃除機をかけて、
テーブルの上のものを少しどかしました。
作業中、BGMに瞑想系の音楽をかけてたら、
お部屋の空気がきれいになったような気が…

母だった頃の記憶

先月の26日に「母と子の輝くお産」の講演会を聞きに行った。

メイン講師は30年間助産師をしてこられた岡野真規代さん。
20数年間普通の病院でお産を扱ってきた岡野さんが、
7年前に吉村医院の「自然なお産」に出会い、
そこから新たに学んだことをお話された。

現代の日本のお産―50年位前からの普通のお産は、
産婦人科という「施設」で行われるもので、
人任せ、病院任せで、
産む側の選択肢はほとんどなく、
流れ作業のように
周りの都合に合わせて産まされるのが現状であること。

妊娠中に
ちょっとおなかが張ったと言っては、
絶対安静で点滴…
生まれるのに時間がかかりすぎると
陣痛誘発剤を打つ、帝王切開をする…
赤ちゃんの感染症を防ぐために、
生まれてすぐ新生児室へ分離する…

それらは
母子死亡率を下げるために
必要なこととして行われてきたのだが、

そういうもろもろが
現代日本人の生きる力の弱さ、いろいろな心の病に
つながっているのではないか。




吉村医院には、
昔ながらの産屋がある。

畳の部屋で、天井から綱が下がっている。
それにつかまっていきんでもいいし、
使わなくてもいい。
水中出産したい人のために、
お風呂も用意されている。

そして、
妊婦を動かせる。
薪割り、水汲み、部屋の雑巾がけ、
そうした昔ながらの労働と、
山登り、スキーなどなど。

動いたり、山の自然に触れる生活が
妊婦の自己免疫力を上げ、
長時間の陣痛に耐えられ、
感染症も起こしにくい体に変えていく。

陣痛が長引いても、微弱でも、
医療はギリギリまで介入しない。

そのひとらしいお産を
励まし、見守る。


始めは、
「そうは言っても、安全第一だよね」
「自然なお産で、難産が減ったという数字を見せてほしいな」
などと思いながら聞いていたのだが、

オノを振り上げて薪割りをする妊婦さん、
陣痛の合間に雑巾がけをしている妊婦さん、
山に登る妊婦さん、
スキーをしている妊婦さん、

胎児が無脳症で、
生まれてすぐ死んでしまうと知りながら出産し、
その子の短い(16時間の)人生を、ほほえみながら
見守るお母さんと家族、

そしてお母さんの胸の上に乗せられ、
はっきりと目をあけてお母さんを見つめている
生まれたての赤ちゃんの写真を見せられて、

わたしの「?」は「!」に変わって行った。
会場に詰め掛けたひとたちも、
目と耳を見張って写真を見、お話に引き込まれている。

どんないのちも自然なのだ。
生まれながらに受け入れられているのだ。



人間は動物だ。
生き物として、本来自然に産む力を持っている。
でも、生き物であるということは、
死と隣り合わせでもあるということ。

人間はどんどん死を遠ざけてきた。
それが、本来の生命力を失わせているのだと思う。


死はイヤだ!
どんなに病に苦しみ年老いてさえも。
ましてや
誕生の場で、
死に会いたくなどない。

けれども、
死があるからこそ、
命は強く輝く、

それも真実。

そのジレンマの中で
わたしたちは生きている。


最後に
自然なお産体験者のメッセージが読み上げられた。
「自分は太古の昔の女性と同じ事をしているのだと感じた」


太古の昔?

そこでわたしはハッとした。

そうだ、太古の昔、
わたしは母だった…


(ここから先は、子なし女の妄想だと思ってくださって結構です…)

輪廻転生がきっとある、
と感じている。

2年前わたしは手術をして、
子供を持てない体になった。

手術を前に、
「もっと早く治療していれば…」
「子供を育てるという貴重な経験が、
自分には出来ないのか…」
「人生の大きな部分が欠けている」
と悩むうちに

ふっとなにかが訪れた。

『今回ダメでも、次に産めばいいじゃない』

と。

今回は子供のいない人生。
でも次に生まれ変わって、産めばいい。

次があると思いながら、
今を生きればいい。


もっと未来に生まれていれば、
医学の進歩で、同じ病気をかかえていても
出産できたかもしれない。
いや、もっと昔に生まれていれば、
この病気で死んでいたかもしれない。
でも、わたしは今、現代に生きている、
生き延びている。


今、この日本のこの時代に生まれてきた、
そのかけがえのなさを味わいながら、
懸命に生きればいい。
そして今子供のいるひとたちを
サポートしてあげればいい。

それが私の救いとなった。



岡野さんの話を聞いて、
それを思い出した。

次があり、今があるなら、
その前もあるはず…

そう、太古の昔から、
わたしたちは輪廻転生を繰り返しながら
命をつないできた。

子供がいたり、いなかったり、
男だったり、女だったり、
味方だったり、敵だったり…
さまざまな人生を生きてきた。


太古、私は母だった。

そのことを思い出した。

私だけではない、
会場の全部のひとが、そして多分世界中の人が、
いつかの時代、どこかの国で、
母だったのだ、
と。



もし

輪廻転生などないとしても、
太古から、
子供を産み、
遺伝子を伝え続けてきた人間の、
歴史の先っちょにわたし達はいる。

母の遺伝子が私の中にある。

産み、育て、守り、教え、
そしてやがて自分のもとから巣立たせる、
その力が、
わたしにはあるんだ。みんなにもあるんだ。

今現在
男でも女でも、
若くても年寄りでも
誰もがみんな
「母の力」を持っている。




妄想炸裂!かな。
自分としては「心的事実」なんですけどね。(^^;)

んで、
昨日
子持ちのひとたちの話を聞く機会がありました。

んで、
いやー「リアル母」にはかなわないと思った。
やっぱり現実に子育てしている母のエネルギーはすごい。
喜びも苦しみも
『いま、ここ』が一番強い。

でもいいのだ。
わたしもいつか、どこかで
母だもの。
そして「いま、ここ」では母たちのサポートにまわりたい。

岡野さんは、富良野に「お産の家」を
建てようとされているそうです。
わたしも何らかのお手伝いをさせてもらいたいと思います。
今回誘ってくれた、わーい♪さん、
すばらしい出会いに感謝です。ありがとう!

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