青いひつじ

≫たのしいお勉強

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落ちちゃったの

今日帰ったら、カウンセリング学校からの手紙が来ていた。
審査結果のお知らせです。

で、ガ、ガーン!
不合格になっちゃった。

「カウンセラーの資質に一歩およばない」っていうことで、

中立性が保てないとか、
自分の考えに固執しすぎとか、
クライエントにタメ口聞いたらだめとか、

もうさんざんです。

これ、「一歩」じゃねーだろがっ
ぜんぜんダメってことじゃんか!



正直すごくがっかりしてるし、
くやしいです。

わたし、こんなに一生懸命勉強したこと今までない。
他の人よりも、いろんなワークショップ出たりとか、
いっぱいいっぱいお勉強したのに


チクショー




でも確かにまずかったかも…というとこもあった。
「カウンセリングとは何ですか?」と聞かれて、
わたしは答えたの。

「真っ暗闇で道に迷っている人に、
 灯りを差し出すような感じかな…」って。


「手をひっぱって、こっちですよと連れて行くのではなく、
 灯りを差し出す。それを受け取るかは本人の自由で。

 灯りに照らされて、
 ああ、こっちに道があるんだとか、
 まわりは泥沼と思っていたけど、ちゃんと固い地面だったとか、
 気づくかどうかも本人しだいで…」


で、「イメージ的には非常によくわかりましたけど、
   具体的にどうするわけ?」ってつっこまれたら、
全然答えられなかったの。



だって、全然わかってないんだよ。




わたしのは意識的にやってることじゃないもん。
自然に沸いてきたり、降りてくる言葉をそのまま口にしているだけだもん。


「具体的に」コントロールなんて、
全然出来ないし、しなければとも思っていないもん。




結局
自分を客観視できていないということなんだろう。
カウンセラー向きじゃないんだろうな。
しょんぼり。


むしろ「イタコ」のほうが向いているかも、
なんて思ったり…

とにかくショックですわ。
なので、
明日は残念会で、夫と焼肉を食べに行こうっと!




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とどめを刺す

昨夜は「これで終わりかな?」と書いた後、
文字通り「落ちて」しまいました。
パソコンの前で、椅子に座ったまま爆睡してしまったのです
すごく疲れていたんだね。
今日は久しぶりに8時間寝ました


昨日も書いた、
3ケースの共通点は、

○親夫婦の不和。
○長年、親との関わりに悩むクライエント。(過干渉、ネグレクト)
 「親に愛されなかった」という思い。
○自分は親のようになるまいと、結婚生活に夢を託した。
 しかし、挫折。
○「自分を無理に抑えてきた」「偽ってきた」という思い。
 抑圧からくるウツ状態。





親(またはそれに類する保護者)との関わりがきっちりできている人や、
成長の過程で自分に欠けているものに気づいて、
自分でケアすることができた人は、

悩みを自分で解決できると
私は思っている。


少なくとも、
こんなところに電話してこないんじゃない?

そういう人は、
家族や友人や、
もっとちゃんとしたカウンセラーに話すんじゃない?

こんなしょぼい無料相談に、
電話かけてこないよねえ~



どこにも行き場のない人たちが、
名前も知らない、顔も知らない、
どっかのおばさんに、
誰にも話せない胸のうちを打ち明ける。

運がよければ癒される。
そうでなければ…
さらに傷つけられるかもしれない。

そう考えると、
何だか悲しい。




でも、
この人たちには
昨日書き忘れた、もう一つの共通点がある。


それは
自分の今の状況をなんとかしたいと、
もがき続けていることだ。
(電話をくれる人はみんなそうなんだけど)




この人たちには根っこがない。
自分の命の源と、ちゃんとつながっていない。
世界とちゃんとつながっていない。


それでも根を張ろうとしてるんだよ。
それでもつながろうとしてるんだよ。



それでも

生きようとしている。





すごいよね



私も同じ、根無し草。
でも今根っこをはろうとしているの。
あなたたちに力をもらって



困難な状況で、
何とか生きようともがいている人たち、
私はあなたたちを全肯定します。

終わったね

やっとレポート提出してきた~

昨日ガンガン言われたとおりに、
今回は、
私が何を感じ、どうかかわって、その結果はどうだったか、
という『考察』部分を充実させるべくがんばった。
昨日は「もうこれで提出しちゃっていいや」と思ったのに、
改めてケースを振り返ると、色んな思いが出てくるものだね。

『考察』が、昨日の10倍くらいの量になった。
もちろん、内容的にもアップ!
我ながらいい感じと思いながら、持って行きました。
今度はちゃんと受け付けてもらえました

あとは審査を待つわけだが。


でも私の出したレポートには
致命的な欠陥がある…かもしれない。


関わった何十ケースの中で、
これはと思うものを3例、
さらに詳しいレポートにまとめるのだが。

もともと、そんなに「イイ感じ」で終了したケースは、
数が少なくて

その中で
特にこれは手ごたえあったな~ と思えるものを選び、
レポートを書いたのだが…


この3件、同じなのだほとんど。


出来上がった文章をを読み直して、
愕然としてしまった。

選んだときは、これほど似ているとは思っていなかった。


3ケースの共通点は、
○親夫婦の不和。
○長年、親との関わりに悩むクライエント。(過干渉、ネグレ クト)
 「親に愛されなかった」という思い。
○自分は親のようになるまいと、結婚生活に夢を託した。
 しかし、挫折。
○「自分を無理に抑えてきた」「偽ってきた」という思い。
 抑圧からくるウツ状態。


…こんな感じ

これって…
まんま、わたしじゃん。

自分と似ているケースばかり、選んでしまったよ~


これで終わりかな?

レポート締め切り

今日は審査レポートの締切日でした。

昨日は…完徹しちまった

内容的にはもうほとんどまとまっているから、
そんなに時間はかからないと思っていたのですが、
提出する書類を揃えるのに手間取って、
あれがない、これが足りないってことになってしまって。
ものの整理が悪すぎるぜ→自分。


やっと完成して、
朝の5時にコンビニで提出書類のコピーをとりました。
40過ぎて完徹はつらいぜ。

それでも今朝はシャワーを浴びて、普通に会社に行って、
仕事しました。
(通勤にタクシーを使っちゃったけどね


何事もなく時が過ぎて、
そろそろ帰る時間。

帰りがけにセンターに寄って、レポートを出していこうと思っていたら、

またまたとんでもないことが発生。



詳しくは書けませんが、
会社で倒れた人が出て、

救急車を呼んで。

誰が付き添うかということになり、
わたしが志願しました。

だって、私はもう仕事あがるとこだし、
こういうのに慣れてるから。

父の倒れたときも、付き添って行ったし。

他の人にはそれぞれ守らなきゃならない持ち場があるし。




倒れた人の荷物を持って、
一緒に救急車に乗っていきました。

それから家族が着くまで、
救急室の前で待っていました。



倒れてから、
救急車を呼んで、
救急車に乗って、
病院について…
それは
わずか15分くらいの出来事で、
スリリングとさえ感じた。



でも、その後が長いんだよね。
重いんだよね…。

ケロッと何事もなかったように治ってくれればいいけど、
そうでなけりゃ…




今回も、
何事もなかった状態には、戻りませんでした。


それでも入院にはならず、家族に付き添われて帰宅して行ったのは
何よりでしたけど。

あの人はこれからどうなるんだろう。
とても気の毒だ




わたしはそれからやっとレポートを出しに行きましたが、

何と。書き直しくらっちまった。_| ̄|○


説明をよく聞いていなかったようで、
内容が提出の形式に合っていなかったのです。


めんどうだけど、
いっそやめちまおうかと思ったけど、


やっぱりもったいないから、
また書く。




明日再提出することになりました。




今日はホントに疲れた~




ちょろいもんさ

今カウンセリングのレポートを書いています。

この木曜日までに提出して、
審査を受けるのです。

この審査で
わたしが3年半勉強してきたことの成果を問われるのですが、
今まで全然レポートに手がつけられず、

さあ、やるぞ。
と思ったところでミルクが死んじゃって、バタバタして

本当にどうなることかと思ったのですが、

いざ今日始めてみると、
確かにケースが多いので、時間はかかりますが、
思ったほど大変ではありません。


簡単だよ。
ミルクのことに比べれば…




愛するものの生死に比べれば、
どんなこともちょろい、
ちょろいもんさ。


ミルクのおかげで、
わたしは大きなものをひとつ乗り越えられた気がする。

ミルク、
ありがとう

審査まで2週間を切って

いよいよカウンセラー認定の審査が近づいてまいりました。

思い起こせば2ヶ月前、
わたしはひどいウツの底に沈んでいて、
人の相談を聞くどころじゃなく、
もう講座もやめてしまおうと思っていたのね。

あぜさんのおかげで救われたけど、
いちばん落ちていたときに
講座の同級生のお友だちに話を聞いてもらったというのも
すごく大きかったと思います。
どうもありがとうございます

今は平気。
不安はないです。
ただ早くけりをつけたい。
3年半、長かった~


落ちたら別のとこへ行く。

受かったら、多分続ける。

人の重い話を、
見ず知らずのわたしが聴く。
こんな濃密で精妙な時間は、
そうそう経験できるものじゃないから



でも、
審査のレポートは何も手をつけていなくて、
さらに前の2回分の見習い当番の報告書も
まだ書いていなかったりする…


やっぱり平気じゃない、のかな?

とにかくあと2週間、やばいよやばいよ…


特別な女になりたくて?

今日は、あなたの電話に2時間もつきあった。

いつもは
「ここはそういう場所ではないのだから、
そうそうに切り上げるように」と指導されているのだけど、
今日はつきあった。

いわゆる「テレホンセックス」を求めていると言ってたあなた。
でもそれも、
あなたにとっては大切な、人とのかかわりなんだよね。

いろんな話ができる、
とてもイメージの豊かなあなたが、
どうして生身の人間とはかかわれないのか、
わたしには不思議で、

時々
「相談員は性の対象ではありません」といさめながらも、
この人はどこまで行くんだろう?
と結構興味を抱いて、
まともにつきあった。

でも
最後にフィニッシュを迎えそうだと聞いて、
わたしはかなり困ってしまった。

こんなに話を聞いてきて、
最後はやっぱりそこに行き着きたいと言うなら、
あなたにとってそれがそんなに大事なことなら、
最後までおつきあいしてしまおうかと、
正直心が揺れてしまった。

でも、
行き着いたそのあとはどうなるのかと考えて、
やっぱりやめた。



やっぱりここは「そういう場ではない」のよ。
わたしたちの扱うのは、
こころなのよ。

それに、
生身のわたしは、愛情のない交わりは
やっぱりいやだよ。


でも傷つけるのが恐くて、
あまりきっぱり言えなかったな




電話が終わってから反省 

「わたしにはそういう話題に嫌悪感はないのです」ということを示したくて、
「ほかのカウンセラーとは違うのです」ということを示したくて、
ちょっと無理しちゃったな。




あなたを変えたい、
そこまでは思っていない。

でもわたしはあなたにとって
特別なカウンセラーになりたかったのだと。

ひとつの思い出になりたかったのだと。



ああ…
やっちまったよ。
自己満足。 _| ̄|○



ああ、でも…
カウンセリングで「治る」のは、
生身のクライエントと生身のカウンセラーが出会うから。
生身の人間同士の、特別な関係があるから。


だけど…
やっぱり方向性が間違っとるよね。




PS:もしも、もしも、ここを探し当てても、
組織には言わないでね。
わたし、2度と電話をとれなくなっちゃうから。

PS:
あなたの言っていた、
『「看護婦モノ」とか「婦警モノ」みたいに、
「相談員モノ」というジャンルのAVがあるといいのにな』という…

そういうのが実際にあるよ。
AVではないけど。
「6月の蛇」という映画が。
すごくいい映画らしい。
こんど見て見ようと思っている。

もう走りだしている~大澤美枝子さんのフォーカシングワークショップ(2)

…こんなふうに続いていくワークシートのテーマにしたがって、
つらつらと湧いてくる思いを話し、
それをパートナーが書き取ってくれます。


わたしの居場所はどこか?
主婦であり妻であり、
見習いカウンセラーであり、
生活支援員であり、
婦人科疾患体験者の会のスタッフであり、
クライエントでもある。


その中でわたしのありかたは?
調和と平和を保ち、
相手を感じて思いやることに力を注いでいる。

切り離したり、分析したり、捨てるのは苦手。


そういう自分のありかたに限界を感じるか?


すごく感じる
自立をはばみ、個性を殺し、オリに閉じ込め、本質を見えなくさせてる。
そして消耗している。
もうこんな馴れ合いは限界、我慢できない。つくづくそう感じている。


 いつもニコニコ、やさしいって言われるけど、
 内心毒もあるの。
 埋没してしまうことへの不満もある。

 もっと出っ張りたい。目立ちたい。

 でもそれは、
 自分の中の毒を外に出すことであり、
 周りを傷つけ、
 関係を壊してしまうのではないかと恐れている。

 「大丈夫。毒も適量なら薬になるかもよ」
 そう言って欲しい。承認が欲しい。すごく欲しいの。



 走り出すことを許してほしいんだね。
 それほど走り出したいんだね。
 自由になりたいんだね。





でも、ね。

「もう走り出してるじゃないの。
自分で気づいていないだけ」


…最後にこんな言葉が浮かんだ。




びっくりだ。
全然バラバラに見える沢山の設問の答えが、
最後にきっちり統合されて、
自分ありようが見えてくる。
1日のワークでここまで深まるとは。


大澤さんは「まだ発展途上」と言っていたけど、
すごく良くできたワークシートだと思う。



それからもちろん、
今日のわたしのパートナーが良かったの。
彼女はいわば、プロの心理援助職。
そういう人と、
セラピストとクライエントとしてでなく、
フォーカシング的な関係が持てたのは、
ラッキーだったと思う
Sさん、どうもありがとうございました。m(__)m


この言葉を胸に抱いていこう。
「もう走り出している。 ただ気づいていないだけ」

もう走りだしている~大澤美枝子さんのフォーカシングワークショップ(1)

今日は日本のフォーカシングの第一人者、
大澤美枝子さんのワークショップに参加して来ました。

FYP(Finding Your Plase~あなたの居場所を見つける)
っていうのをやりました。


参加者が2人ペアになって、
大澤さんが作ってきたワークシートに沿い、
自分の内側に触れる作業をしていきます。


まずはクリアリングスペース。
出てきたものは…
・生まれたての鹿の子。(まだまっすぐ立てなくて、
 足がガクガク震えている)
・水をたっぷり吸って重くなった海綿(昨日職業訓練校の同窓会で、
 飲みすぎた
・海草の揺れるさま。あるいはゆらゆらと立ち上る煙。
 それに続いて、赤黒い空の下、がけの上を上っていく、延々と続く隊列。
・最後に、
 びちびちとはねる魚。


クリアリングスペースが済んだら、
実際の作業の始まり。

まずは自分にとって「特別」と感じる3タイプのときを述べます。
1.自分がありのままにいられるとき、
2.キラキラ輝いていると感じるとき、
3.深い満足を感じるとき。

わたしの1は、2つ出てきた。
ダンナと外で焼肉しているとき。
ダンナは一人で飲んでいるから、段々酔って、こなれてほどけて、
いろんなことを話しだす。
それに相槌を打ちながら、見守っているひとときが大好き。

もう一つは昔好きだった人と、言葉遊びをしたとき。
一方が何かひとつの言葉を言って、もう一方がその言葉から浮かんだ言葉を返す。
言葉のキャッチボールをして、
努力しているわけでもないのにどんどん言葉が深くなって、
お互いに
「わあ~、すげえじゃあこの言葉はどうよ?!」
って、いい感じになったとき。

2つ目は、
去年講演会の準備中、スタッフとミーティングをして、
計画がどんどん実体化して育っていくのを感じたとき。

3つ目は昨日ブログにも書いた、自転車のエピソード。


次は、その「3つのとき」の核心(もっとも重要な点)はどこか、
探ります。


1つ目は、
安全な感じ。自分が一つの場を守っている、
そして同時にその自分が、何かに守られている感じ。
それと、本質に迫る、深まるという感じ。

2つ目は、
流れに乗っている感じ。どんどん、どんどん、速いけど、焦っていない。妨げるものも、せかすものもない。

3つ目は、
…大きく言えば、普遍性。
「お父さんじゃなくちゃだめ」とか「そのときだけ」とかいうのでなく、
自分の人生にあまねくそれが存在していると気づいた喜び。
「ユビキタス」と言ったらエラそうだけど。


次は、ちょっと変わって、
自分が小さいころからいつもしてきた、
「自分らしい行為」とはどんなことか?

わたしがいつもしてきたこと?
それは、一人でいることかな。
本を読んだり、絵を描いたり、文章を書いたり、モノを作ったり、
いつも一人で黙って何かしている。
創造性や表現に関することを、一人でしている。
なんか孤独だ。
でも、オリジナリティというのは、1人なのかな。
「オンリーワン」ということになっちゃうのかな。


では、前にあげた「3つのこと」に、
その「いつもしていること」はどう関わって来るのでしょう?


これは…意外。
わたしが挙げた「3つのこと」に共通するのは、「共有」。
「共にある」ということだよね。
それがわたしにはとても嬉しいことなんだな。
「一人が気楽」と思っていた。
人と会って話すと、面白いし、揺さぶられる。
でも疲れる。自分のペースが遅いから、人に合わせるのは無理だと思っていたの。
でも、「ひとりじゃない」ことにわたしは喜びを感じているんだね。
もっと広いところにフラットな気持ちで行けそうな気がしてきた。
自転車は、わたしにとって一つの象徴。
「自分で、自由に、マイペースで」どこかに行ける、そういうもの。
それを誰かと共有することができるんだと思うと、とてもうれしい。



人生は終わっていない~(3)ボーリング・フォー・コロバイン

何年も前に見た映画「ボーリング・フォー・コロバイン」。
  「アメリカ合衆国コロンバイン高校の銃乱射事件に題材をとり、
  様々な人へのインタビューや他国との比較から
  事件の背景と銃社会アメリカの歪んだ異常な姿をあぶり出してゆく」(ウィキペディアより)


加害者の少年達は、学校ではイジメられっ子だったという。


映画の中であるコロンバイン高校卒業生へインタビューしたシーンがある。
彼は言っていた。
「自分も高校時代は落ちこぼれで苛められていた。
自分なんてダメだと思っていたけど、
卒業後アニメーターになり、今では成功している。
銃を撃った奴らは学校の世界しか知らず、
行き詰ってしまったのだろう。
奴らに『学校の外に、もっと広い社会があるよ』と、
誰かが教えてあげられればよかったのに」


今いる枠の中で行き詰っていても、
もっと広い世界があるよ。
あなたの人生は終わりじゃないよ。


わたしも誰かに伝えたい。



  
安達先生の講演会には
ひきこもり支援をしている先輩も来ていた。

わたしが職業訓練に入る前に、
「終わったら、うちの子達にパソコンを教えに来てよ」と
言われていたのだった。

「今忙しいの?」と今日も聞かれた。


 
どうしようかな。
今どうするか、はっきりとは決められないけど、
やっぱりわたしはこの人たちと関わることになりそうだ。

社会に適応できずにひきこもっている人たち。
でも
それは「今この社会の枠の中で」だけのこと。

新しい枠があれば、外に出ていけるんじゃないか、
ある意味彼らは可能性の宝庫じゃないかと、
人間の、一つの進化形であって、
形をなす途上で苦しんでいるんじゃないかと。

わたしはそう感じている。


伝えたい。
「世界は広いよ。
あきらめないで生きていけば、いつかは自由に外に出られる」
ってね

人生は終わっていない~(2)投稿者からの手紙

家に帰ると、
遠くのひとから手紙が来ていた。

前から入っている「良性婦人科疾患体験者の会」があり、
わたしは会員誌の編集を手伝っているのだけど、
彼女はそこに体験談を投稿してくれた。

(詳しくは書けないけど)
彼女の投稿には、
おなかに水腫が出来たためにガスがたまり、
学校時代におなかの鳴動や下痢で苦しんだことが、
原稿用紙10数枚にわたって小さな字でびっしりとかかれていた。

たかが「おなかの音」と言うなかれ。
授業中やテスト中、
あの独特の静寂の中で、自分がヘンな音をたててしまうことの恐怖。
みんなの見ている前でトイレに立つ恥ずかしさ。
鳴らないように我慢する苦痛。
教師に奇異の目で見られ、
「おならをした」とクラスメイトに噂される悔しさ…

これらが何年にも渡り思春期の少女を苦しめたのだ。
彼女が心を病んでも無理はない。

原因が腹部の水腫とわかり、手術して「ガス」も「下痢」も治ったが、
今も人間不信と理不尽な苦しみへの怒りは消えないという。




読んでいるうちに自分の経験が思い出されてきた。
学生時代わたしにも似たようなことがあったっけ。

わたしは彼女のような「水腫」が原因ではなかったので、
多分ストレス性の「過敏性腸症候群」だったのだろうが、
やっぱり苦しかったし、とにかく恥ずかしかったなあ

でも社会人になっていつの間にか治ってしまった。
そして専業主婦の今となっては、家では「おなら」なんて、し放題。
(というほど出ませんが…


…というようなことを手紙に書いて
清書した原稿に同封して送った。

過去を忘れようとしている彼女を苦しめるのではないかとも思ったが、
「あなたの苦しみは学生時代という限定された時期のものなのよ。
挫折しても、あなたの人生はまだ終わっていないのよ」

と伝えたかった。

そして今日、彼女から返事が来た。
わたしの手紙を読んで涙が出たと。

「過去がよみがえる恐怖なのか、
同じ苦しみを共有できる喜びなのか、
様々な感情が入り混じった涙だったと思う」
と書かれていた。

そして
「sheepsleapさんも普通の生活が取り戻せてよかったですね」
と。

ありがとう。
そうなのよ。
いつかは取り戻せるのよ。

どんなに苦しくても、挫折しても、
人生は終わらないから。

人生はまだ終わらない。

(ブログもまだつづく)

人生は終わっていない~(1)安達俊子先生講演会

無事に終わりました。
録音機材が故障したり、受付の手順を直前に手直ししたり、
(わたしが)理事長の写真を撮り忘れたり…
いろいろあったけど、今年もいいチームでした
みなさんお疲れ様~

2年の約束だったので、
わたしは今年でこのチームは卒業です。
楽しかったなあ



スタッフだったので講演全部は聞けなかったけど、
ひきこもり・ニート支援施設を運営しておられる安達先生の
「今の教育制度がどんなにこの子達の負担になっているかがよくわかる。
一度失敗したらもう二度と第一線に戻れない、
とにかくスピードアップが求められる。
高速道路をひたすら走っているみたいに、
スピードダウンすれば後ろの車に追突されて怪我をする。
そういう中で耐えられなくなっていく…」

という言葉が印象に残った。

(つづく)

お久しぶりのインプロ

日曜日は半年振りくらいにインプロのゲーム会行ってきた。
今回は「日常生活の中で感情に振り回されないで過ごすために、
感情を探求してみましょう」というテーマで、
これってめっちゃ今のわたしにぴったりやん
今まさに探求の最中やん
とワクワク

一番気に入ったのは、
「エモーショナルローラーコースター」というゲーム。
2人一組になり、一人は演じて、もう一人は合いの手を入れるの。
合いの手は、感情を表す言葉。「喜び」とか「悲しみ」とか
「怒り」とか「情熱」とか…。
合いの手に応じて、演じる人はその感情の通りに演じなくっちゃならない。

「喜び」と言われたら喜び、
「悲しみ」と言われたら、悲しむ。

例えば、
消防士の役を演じてるとして…

「火災発生の連絡が来た。さあ出動だ。現場についたぞ!」
→ここで合いの手「悲しみ」
「なんてこった~燃えているのは俺の家だあああ」
「喜び」
「ああ、よかった。お袋は無事だ」
「怒り」
「なんで親父はうちの犬を助けにいかないんだ?!」

というふうに、
演じている側はどんどん感情を切り替えていく。
そしてセリフや動きで、感情が変わる理由を表さなくちゃならない。

面白いでしょ
感情が先に決まっていて、
その感情が起こる訳をあとから考えるんだよ。


  
何かの体験をして感情が湧いてくるものと思ってるでしょ。
体験と感情は分かちがたいものだと。

例えば、
なんか嫌な体験をして、ネガティブな感情が湧いたとして…
後からそれとちょっと似たような体験をすると、
同じ感情が湧いてきちゃうでしょ。

それだけじゃなくて、
そのときと同じ場所に行ったり、
その場にいた人と似た人に会ったりしただけでも、
イヤーな感じになることあるでしょう。

トラウマだか、フラッシュバックだか?


でも体験と感情はひっついていると思い込んでいるだけで、
実は切り離せるのかもしれない、
なんて思った。

トラウマまで重くなくても、
「こういうときは悲しむものだ」とか
「こういうときは、喜ぶのが普通だ」と思って
悲しんだり喜んだりしてみせていること、あるんじゃないかな。
それは本当の感情なのかな?


今回のゲーム会は「感情に振り回されないために」
というのがテーマだったけど、

この頃のわたしは感情を味わっていたい。
自分の、今の、本当の感情を。
その感情と仲良くしていたい


…いやあ、インプロって、本当に面白いですね


わたしはあと2週間したらパソコンスクールで働き始めるんだけど、
仕事場でインプロやってみたい。
頭も肩もコリコリ硬くなった生徒さんたちを
ほぐしてあげたいな~
座っててもできるようなゲームないかしらね

ひと安心

今日は電話相談見習いの日でした。

先月当番に入ったときは、
相手の方のお話に全然共感できなかった。
「あなたも大変だろうケド、
 わたしも大変なんですから~」って感じで、
相手を受け止めるどころじゃなかった。
申し訳なかった。

今日は無事終わりました。
今日の方達は会話のキャッチボールができる人ばかりで
よかったあ


大先輩に「よく回ってるね」と言われた。

回ってる? クルクル パー?(@.@)

そうでなくって
「頭がよく回ってるね、気持ちもついていけてるね」って。

だって、だって、
「うん、うん、そうだ、そうだ」って思える人ばかりだったもの。

「少し先走りして、まとめようとしているね」
ううそういう癖があるんですね。
少しでも早くラクになってほしいと思ってしまうのかなあ。
本人のペースでしか、
気持ちは動かないのにね。

「でも気持ちが離れそうになっても、すぐに修正してまたついていっていたね」
そうなんです。わたし、今日そこはがんばったですよ。
あ、違う!と思ったら、すぐに戻ろうとしていたです。
うれしいす。
でもこの先輩、絶対に人のことは悪く言わない方だからな~
わたしを励ましてくださったのだな。


どんなに小さなことでも、
普段なら「何それ?」って思うようなことでも、
本人にとってはすごく苦しいこともある。

それは身を持ってわかってるし、

どんなにどうしようもなく、
逃げ場もないように思えても、
やがて状況は変わってくる。
話し続けることだけでも、
多分、変化の第一歩。

…だからその人たちについていけるんだ。
聞き続けていけるんだ。


先月のとき先輩から言われたアドバイス、
あぜさんのセラピーで「ぐっと来た」言葉、
それから、たまちゃんのコーチングで「おおっ」と思った言葉、
いろいろ使わせていただきました。

空振りも多かったけど
自分の受けてきたセラピーが、
今日はなんとなく役に立った、かな


今日のうちにレポート書こうかと思ったけど、
やっぱり疲れた。
今夜ダリンは飲み会。
なんだかわたしの忙しい日に合わせたように
飲み会とか出張が入る夫。
なんて都合のいい夫。
ダリンが帰るまで一眠りしちゃおうかな

今日は小さな1日だったけど、
わたしにとっては大きな山だった。
これを乗り越えられたから、あとは審査まで少し。
やっぱりがんばる。

My Story

職安の職訓に通っているのですが、
連休明けに
「職務経歴書」なるものを出さねばなりません。

「わたくしは、
過去このような職務につきまして、
このような業績を納めたのでありまーす。
このようなことを学び、
このように自己を磨いてきたのでありまーす。」
というもの。
求職のとき、履歴書だけでは差がつかないので、
「職務経歴書」で自己アピールをするのだそうです。


書くためには
自分の職業人生を振り返らねばならないのだが、

うーん、
結構これ苦しいぞ。

カウンセリング系のお勉強で
さんざん自分を振り返ってきた(と思っている)のに、

またここでもかい?って感じ。

まあ必要性あるんだけどね。



思えばいろんな仕事したなあ。
正社員で2つ。
結婚してからは色々なバイト。

仕事は誠実にやってきたつもり。
大体のところで重宝がられて、
とりあえず役に立ったと思う。

でも、業績なんてねー?
普通にやってただけだよ。


資格も色々とったし、
学校にも行ったけど、
途中で挫折したり、
全然関係ない仕事についてたり、


うーん、
ストーリーがないぞ!

わかりやすくないよ~

あっちへちょぼちょぼ、
こっちへちょぼちょぼ、

うろうろしてるような人生。

行った先々で
いろんな人や出来事に会い
軌道修正してきたのだけど、

「職務経歴書」にそんな詳しくは書けないよ。



何が言いたいのかわからない、
どこに行くのかわからない、

純文学みたいな人生?

そんなの書けねえよっ!






ああ、でもここで決めなきゃならないんだな。

最終ゴールはわからないけど、



自分のわかりにくい人生を読み解いて、

とりあえずひとつの解釈をしなくちゃならないんだな。

とりあえず、次どうするか決めなくちゃならないんだな。


  …それをわたしは恐れてきたのだけど…

今、やらなくちゃならないのだ。


ヒュー、
がんばろっと。

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