青いひつじ

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新しい年のはじまり


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もうアダルトチルドレンじゃない

久しぶりにmixiにきて、たまちゃんの日記を読んだら、


「アダルトチルドレンが世界を平和にする 」という日記を、矢野惣一先生が書かれていました。
深く共感します。』
という一文があり、

マイケル・ジャクソンがオックスフォード大学で行った講演の内容が紹介されていました。


2001年3月オックスフォード大学でのマイケルの講演

【幸せな家庭を築く】心理療法作家 矢野惣一先生のブログ





自分が病んでいたから、
苦しんでいたからこそわかる、
人の痛み。



そういうものはあるよね。

もちろんわかってあげられないものも沢山あるけど…



だって、私も回復途上だもの。


いいたいこと、したいことを押さえ込んで、
いい子でいた自分が
しょっちゅう顔を出す。


私のよろこびなんて、自由なんて、

どうでもいい。
この場が丸く収まりさえすれば…


周りのひとが笑ってくれなければ、
自分の存在など消してしまったほうがいいんだって。



…でもそんなのはうそっこ、
すごくよくないって、
今ではわかっているのだけど。



結局マイケルは、
自分も治って幸せになりたい、
周りの…世界中の人も幸せにしたい、
って
もがきながら死んじゃったのかなあ。


わたしはもう、もがくのはやだな。

大丈夫。
苦しまないようになれると思う、
だって、マイケルみたいに大物じゃないしね




私のこのブログ
サブタイトルを「ちびちびと世界の平和をめざします」とつけたのも、
たまちゃんの
「半径2メートルからの平和」を実現したいという日記を読んだから。


わたしの家族、友人、知人
誰も泣かせたくない。

みんな幸せでいてほしい。


だから、
周りの人を少しずつ幸せにしていきたい、

あたたかい言葉で、笑顔で。


ちびちびと、だんだんに、幸せの輪が広がって、
そこから世界の平和が始まればいいな、って。




そんな気持ち、
このごろずっと意識せずにいたなあ、

やっぱり初心は忘れちゃいけないよね。




マイケルの講演を読んで、
思わず父に電話しました。

よろこんでくれたと思う



たまちゃんどうもありがとう

世界に向かって愛を叫ぶ!

恥ずかしながら

今我が家では、
「セカチュー」がブーム。

その昔ブレイクした原作は読んで、
「ケッと思って捨てていたのですが、

今回
BSでダリンが録画した「セカチュー」の再放送を見て、

「こんな甘甘な奴ら、おらへん」と思いながらも、
年のせいか涙腺のゆるくなった私はうるうるしてしまうのです。

ダリンの目当ては、
制服姿の綾瀬はるかですが…








「こんな奴おらへん」的恋愛スペクタクルと言えば、
これもありますね…

「タイタニック」


一番泣いちゃったのは

老夫婦の場面。



 沈み行く船の中で、
 老夫婦が抱き合ったまま、
 最後のときを待つ…



いいね~
わたしたちも
終わりはこれで行こうね
って、ダリンと話しているんです。

中年を過ぎたわたしたち。
自分らの終わりは、もう視野の片すみに入っています。

(そやけど、
 どうやって沈む船を選んで乗るっちゅうねん!?
   って自己ツッコミもありますが)






でも時折、
そんな死の空想を、もて遊んではいけないと
現実に引き戻されるような事件が起こります。






先日、
ダリンの後輩が自殺しました。

しばらく前までダリンと机を並べていた彼は、


黙って我慢して、
不満を溜めて溜めて、
キレてしまうタイプだったらしい。




確かに仕事はきつく、
報われず、
認められず、
不満をつのらせていくような、
そういう状況だったかもしれない。

でも彼は誰にも言わなかった。




しばらく前、
彼に目をかけていたOBの人に、
奥さんが言ったそうです。

「主人が会社に話したいことがあるんです」って。


そこで
OBの人や先輩、上司が
何度か声をかけて相談に乗ろうとしたけど、

本人は何も核心は話さなかったと。




ダリンは言う。
「だから、
 もし俺がそばにいても、どうしようもなかったかもしれない」



…本人が昔ダリンに言ったことがあるという。

「話しても、しょうがない」と。





しょうがない、って



話すことでいったい何を期待しているのだ。




自分が話した相手が、状況を何とかしてくれるとでも?



相手にそんな力があると思っているのか!?



同じ会社に関わり、とどまり続けているひとたちの、
誰にもそんな力は無い。



みんなどうしようもない状況で、
必死にしがみついているのだから。





それでも、

とダリンは言う。


「俺自身はどれだけ沢山の人に、
 話を聞いてもらったことか…」
と。


今回も、前回の転勤でも、
そして今までの会社生活で行き詰ったとき、
ダリンはありとあらゆる上司、先輩、同僚に話をして回ってた。



返ってくる答えは決まってた。

みんな異口同音にこう言った。


「大変なのは分かる、
 でもどうしようもないよ」
と。





答えはわかっている。

誰にもどうしようもない。




人に話をすることは、
自分の頭の中を整理するための、たしにしかならない。

「わかるよ」と言われても、
 事態は何も変わらない。


誰かに頼って、助けてもらえなどしない。







そうだとしても、


だとしても、






それでもわたしたちは叫ばねばならない。


生きるために。







自分と似た人に、似ていない人に、
思いを手渡すために。


分け合うために。




一人ぼっちで行かないために

自分のために、

家族のために、



話すことは信じることだから






誰にでもいい、
甘えてくれたらよかったのに…









 …これはダリンとわたしが
 二人で勝手に話し合ったことで、

 事実はもっといろいろ複雑な、

 本当にどうしようもない事情があったのかもしれません…

 
  
 死ぬぐらいなら会社やめちゃえばいいのに、
 とか言えないし、
 

 あるいはあるいは、
 心の病であったのかもとか、
 プロにつながっていたら
 どうだったかとか…わからない  
 
 でも







それでもやっぱり、
死んじゃだめだ。


だまって死んじゃだめだよね。




ともかく、

わたしたちは頑張りましょう、
自分と家族と仲間のために。


淡々とポジティブに

前回の日記で「ステキ禅師の、『ありかた』を聞きたいっ!」
と書きました。

そのチャンスをうかがっていたのだけど、


金曜日になぜか他の人たちが皆早く帰ってしまい、
また二人になったので、
思い切って禅師に突撃インタビュー!



sheep「禅師先生、この前言ってらしたこと、
    先生にとってはタテマエじゃないんではと
    わたしは感じたのですが…?」





「本気だよ」と禅師はあっさり言った



「だって、
誰でもわかるようになるんだよ。
それなのに、最初からできないと捨ててしまうなんて、
もったいない



「分かる、っていうのは
例えば用語の意味を全部知っているとかいうことではなくて、

自分なりのイメージを持つということです」


sheep「イメージって…『流れ』みたいなものですか?」


禅師「そう、そう!」



どんなに複雑に見えるものでも、
その底に流れているもの…土台のしくみ…がわかれば、
あとは、その土台の上に乗っている飾りみたいなものだから、
全部分かる。


新しい分からないものが出てきても、
それを自分の持っているイメージの
どこに位置づければいいのかが、分かればいい…そういうことなのね




「年取って記憶力が衰えたからダメだ、とか
自分は頭が悪いからできない、とか言う人もいるけれどね。

確かに難しい内容ではあるけれど、

自分なりのイメージをつかむことは
誰にでもできるんだよ。十分に時間をかければ」


sheep「どこまで分かる、とか
    どれだけ分かる、とか
    関係なく…?」


「そう。誰にでも分かるようになる






「それにね、
 失業した人たちが今ここへ訓練なんかしに来ているのは、
 今までの自分のやり方じゃだめだと思ったからでしょ。
 今までのやり方に行き詰ったから
何かを変えようと思ってここに来ているんでしょう。


sheep「そのとおりだと思いますっ


「だったら、変わらなくちゃ。
新しいことに出会ったら
何でも挑戦してみたらいいと思うんだよね。

そのひとつとして、この科目に挑戦してみてほしいと思うわけです」





「それからね、
分からない、分からないと言う前に、
分からないなりに 一通り最後までやってみろ と思うんだよ。


最初始めたときは、質問さえできない。
自分が何が分からないのかも、分からないから。


最後までやってみて、振り返ってみて始めて、

自分はどこが分からなかったのか、分かって来るんだよ。



山上りをしているとき、
その途中でつまづいても、
地べたに張り付いていては、
自分が今どの辺にいるのかわからないよね。

自分がどの辺にいるのかわからなければ、
どうして自分が今苦労しているのかも分からないよね。

でも最後まで上りきって、
頂上から見下ろせば、
自分がどこでどうしてつまづいたのか
見えるようになるよね。

それと同じだと思う。



だから最初から分からないと捨てないで、
とりあえず最後までやってみるべきだと思う」










やる気があって、時間をかければ、
誰でもできる。

禅師はそう思っている。




無理に信じこもうとしているのでもなく、

信じていることさえ意識していない。

ただシンプルにそう思っている。



禅師にとってはそれが「あたりまえ」。
「自明の理」なのね。



まあ。

ステキ











わたしは(審査に落ちちゃったけど)カウンセリング見習いで、
実際に人の相談を受けてみて、

「誰にでも前向きの力があるんだなあ」と実感したのね。

「治る力」というか
「生きる力」というか、

どんなに暗闇の中で途方にくれているように見えても、
芯のところには必ず「光」を持っているんだ、
って思った。


でもわたしがその「光」を感じるのは、
今まで出会った個々のクライエントさんにとどまっていて、

本当の意味での「誰でもみんな」ではなかった。



だからわたしの世界は
暗闇の中に明かりが点在しているような世界。夜空のような。





でも禅師は
「年をとっているから」とか
「時間がないから」とか
いろんな前置きや制約をとっぱらって、
「誰でも分かる。誰でもできる」と言う。


禅師の見ている世界は、
わたしの世界より

随分と明るいんだと思った。







わたしも
禅師のように世界を見てみたい。



まっすぐに光を見つめて、
世界の根っこを信じられたら、

そんな
淡々とポジティブなまなざしを持てたら、




ステキだよね


本気・マジ・なの?

sheepさんは本当に、しょうがないおばさんだ…。



しかし、しかしですね。

先週の金曜にわてくしが居残りしていたのは、
禅師先生のプライベートが聞きたかったからではありませぬ。
(いや、それも聞きたかったが…)



禅師の教師としてのあり方を聞きたかったのです。









先週禅師が
「今日久しぶりに生徒さんに喝を入れちゃった…」
と言ってきました。




授業中に内職をしていたり、
お客さん状態になっている人がいるんだそうで、


「就職活動のための内職はある程度仕方がないが、
授業の内容が自分に関係のないことのように、
捨ててかかっているのは見過ごせない。



まじめに授業を受けている生徒さんが気の毒だ。

生徒たちは公金を使って学校に来ているのだ。

この科目があることを、
知っていて自分で選んで来ているはずだ。


授業の内容がわからないなら、
質問をしにくればいくらでも答える。


それもしないで最初から捨てているのはいかがなものか」


そう言って叱ったんだそうです。





禅師の話を聞いていた
わたしと、先輩のお兄さん先生は
異口同音に言いました。

「それは科目の内容自体が難しすぎるから、
仕方ないんじゃないですか?」









このクラスは若い人もいるけれど、
上は60歳までの高年齢クラス。

最初はパソコンの初歩も知らない人もいて。



禅師の科目が始まる前には、
ワードやエクセルなどの使い方を勉強していました。

その時点で頭を抱えている人も大勢いました。





ワードやエクセルでひいひい言っている人たちに、
さらに上のこと(IPアドレスがどうたら、ネットワーク構築がうんたら)を教えようとしても、
ムリではないか…

若い人ばかりのクラスなら、
ついていけるかもしれないが…

生徒たちはとりあえず「パソコンの使い方」を習いに来ただけで、
内容の詳細をあんまり深く考えて選んだわけではないのでは…



そもそも
このカリキュラム設定にムリがあったのではないか…




わたしとお兄さん先生は、
そんなようなことを口々に言いました。







「久しぶりに怒って、疲れた~」と言って、禅師は帰ってしまいましたが。







それから1週間、




相変わらず内職組もお客さんもいるようですが、



遅くまで残って質問して、理解しようとしてる生徒もいるし、

「これは日本語じゃなくて、宇宙語ですね。チンプンカンプンですよ」と言いながら、
楽しそうにしている生徒もいるし、

なによりクラスで一番高齢の人が、
とてもまじめに授業に取り組んでいるようです。
(休み時間に教室を出てくるとき、目が輝いています)










「自分で選んでここに来ているのだから、
きちんと授業に取り組むべき」というのは

ふつうはタテマエですよね。


それに対して
「そうは言っても、
最初からムリなことをさせているのだから…」というのは

ホンネですよね。





口ではタテマエを言っていても、
実は自分のメンツがつぶれたから怒っている…ということもありますよね。


タテマエを言いつつ、
「そうは言ってもやっぱりムリだよな」と内心はあきらめている…そういうこともありますよね。











でも
禅師の言葉を聞いたとき、

わたしは感じたのです。

「このひとにとって、これはタテマエではないのでは?」






もしかして、
本気で言っている?

YES
…どこまでなのか、100%ではないんだろうけどね。
  (100%なら、ただの熱血バカだ)









禅師の教えている科目は高度なのです。
他の先生たちにもさっぱり分からないようです。
お勉強好きなわたしでさえ、「わかりましぇーん」と最初から逃げてしまいたいほど…


でも難しくてわからないながらも、
禅師の本気さに生徒さんはついてきているらしい…



生徒さんの表情を見ていて、
どうやらそうらしいと感じます。








自分の教えていることが理解してもらえないとき、
興味を持ってもらえないとき、

「この人たちにはムリだから」と
言ってしまえばラクですよね。





でも、

そんなにカンタンにあきらめたくないんですよ。わたしも。




あきらめたくないんですよ。

禅師のように、本気になりたいんですよ。









どうしたら本気になれるのか?

その本気さはどこから出てくるのか?



…矜持と言ってもよいでしょうね…





そういう禅師のあり方に、すっごく興味を持っているんです。


そこが聞きたいんです






それなのに、

わざわざ居残りして、
年とか聞いたりして、
わたしのバカバカ


またお話聞く機会があるとよいな…

いや、やっぱり聞こう




誇り高き求道者の国へ

チベットで騒乱が起きていますね。

他の独立運動をしている国でもそうなのですが、
こういうニュースを見ると、



どんなに巧妙に弾圧しても

人の誇りを奪うことはできないんだなあと思わされます。





わたしはダライ・ラマ14世のファンなんです

テレビで見るダライ・ラマは
きさくで愛嬌のある普通のおじさんで、
その口にする言葉も
ごく普通の当たり前の言葉ばかりです。


激しいことも、難しいことも言わない。


でもそれが
時代の波に翻弄され
50年近くも亡命生活をしながら、
祖国の自由のために活動しているひとの口から出ると、


とても重く、深く、大きい



「そんなのきれいごと」
とか
「たてまえだ」
という反論が力を失う。




チベット人の精神的指導者であるダライ・ラマは
自分のことを「一介の修行僧」だと言っています。









引越しが決まったのでわたしは、
今、岩手県のことをネットや本で調べているのです。


岩手県はその昔、
交通の不便さや、産業がないため県民所得が低いことから、

日本のチベットと呼ばれていたそうです。



そして
岩手と言えば
宮沢賢治ですね。


宮沢賢治は詩人で童話作家として有名ですが、
農業指導者であり、学校の教師でもあり、

熱心な仏教徒でもありました。



自分の作品や活動を通じて、

自らの信仰の世界を具現化しようとしていたようです。


あまりに求道的で、禁欲的になりすぎて
病に倒れ早世してしまいました。


すぐれた指導者であった賢治も
自分のことを「一農民」と言っていました。










チベットのニュースを見ていて、
ふと学生時代に描いた絵のことを思い出しました。


青い地に
道化師やいろんな人物が乱舞している絵で、
(いかにも女の子が描きそうなモチーフだ…

それにわたしは「チベット」とタイトルをつけました。



なんで「チベット」とつけたのか
思い出せないのですが、


「自分とははるかに遠いところにある
未知の国」
という感じだったのかな?








その「未知の国」だったチベットと岩手県、

そしてダライ・ラマを生んだチベットと、宮沢賢治を生んだ岩手県が、

わたしの中で今(勝手に)リンクしています




「誇り高い求道者の国」として…






「県民性辞典」でも、
岩手の人たちは
「まじめで誇り高い」とされています。



実際のところはどうなんでしょう?

行ってみないとわからないけど、




どんな出会いが待っているのかな








「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」
宮沢賢治は言いました。

確かにそうかもしれないけれど、


でも
「世界の幸福は、個人(わたし)の幸福から始まるんだよね」
と感じている、

一人の俗人のわたくしが、


宮沢賢治のユートピア「イーハトーブ」に行って、

さてさて、
どんなことが起こりますやら

お楽しみに



ほんの一歩先で、待っているよ

家に帰ると、
あるきっかけでたまにメールのやりとりをしている人から
メールが来ていました。

「昔ひきこもっていた反動で、今人に会ったり、外に出たりしています」と書いてあった。



わたしもそうだなあ~




転勤先でお友達もできず、ひきこもっていたから
今人と会って話すのがこんなに楽しい


大学を途中でやめてしまったから、
今勉強するのがこんなに楽しい


仕事もせずに家にずっといたから、
今外で働くのがこんなに楽しい




過去のつらさは
今の楽しさを何倍にも味わわせてくれる。







どんな苦労も無駄ではない。












生涯学習講座で講師をしたとき、
感じたの。
「ひとりじゃないんだ」って。


ベテランの先生がアシスタントしてくれた、
そのことももちろんあるけど…


「わたしはもうひとりじゃない」って感じたの。








コミュニケーション、カウンセリング、
そしてもちろんパソコンの講座…

今までわたしはどれだけ沢山の教室に出て、
どれだけ沢山のことを学んだことか…


お友達や身近な人との会話から、
どれだけ沢山のことに気づかせてもらったことか…


今の会社に入ってからも、
短い間だけど、どれだけ沢山のことを教わったことか…




今までわたしにいろいろなことを教えてくれた
先生、コーチ、セラピスト、カウンセラー、そしてお友達は
わたしの人生の師、



その人たちが
全部いる、って思ったの。




みんながいる。
ここにいる。


わたしの中に生きている。


だからわたしは堂々としていられたの。




どんな出会いも無駄ではない。










今日学校でわたしと話をしたキミは言っていたね、

「周りに流されて、
 何もかも中途半端でやめちゃって、

 自分の人生は何なんだろう?」って。



わたしもずっと思っていたよ。

自分の人生は中途半端で、流されていくだけで

無駄じゃないか、ゼロじゃないかって。





でもわかったよ。

人生において、
ゼロなどない。


ありえない。





プラスはプラスのまま、人生の宝となり、

マイナスはプラスに転じるための、
強力なバネとなる。


ゼロなどない。


ひとつもない。




そのことに気づいたとき

バラバラだった自分の人生が

一本の道になるんだよ。








早く自分の道を見つけてね

わたしはほんの一歩先で、

待っているよ




憧れのまなこで

どうして自分はこんなにへたれているのかと思うに、

プレッシャーを感じているようです。


いろんなことに。

ほとんどありとあらゆることが、
わたしにとってはプレッシャーになるみたいです。


ちゃんとしなくては、
及第点をとらなくては、
完璧にしなくては、

どうしてもそう思ってしまうみたいで。




ただそこに在るということが、

ありのままの自分を認めるということが、




わたしにはまだまだ難しいようです。








今いる会社は、社会の縮図みたいなところだと思っています。
いろいろな企業で長い経験を積んで、
それぞれの美学を持った人たちが集まっていて、
若い生徒たちに、
会社とは、企業社会とはこういうものだということを教えている…



みんな人間的魅力にあふれる人たちなのですが、
中でも
(多分わたしより年は下だけど)すごくよく出来た先生がいます。

ソフトで上品で、(セクハラもしないし)
でもとてもしっかりと自分の考えを持っていて、
全体を見て気配りもできる…


女生徒に絶大な人気があり、
いろいろと相談も持ちかけられている姿を見て、


すてきだわ~
と思うのですが、




この先生と話していると、
自分にはわからないこと、できないことがいっぱいあるんだと
気づかされてしまいます。


自分の未熟さ、間抜けさ、視野の狭さ、社会的経験値の低さを
ひしひしと、

ひしひしと
感じてしまうのですよね。









今日わたしは朝バスの中に財布を忘れて、
会社の帰りに、いつものバスの終点にあるバス営業所まで
財布を取りに行きました。

往復4時間もかかって今帰ってきました。

すごく遠くの知らない街まで行くはめになり、
バスの窓の外は真っ暗になって大変心細く、
そんな状況を招いた自分の間抜けぶりに
またまた落ち込んだのですが、







バスの中で、
わたしは思ったのです。


今のわたしは未熟で馬鹿で無能だ。
その間抜けさゆえに
みんなをホッとさせられるような存在。



でももっと高く、善く、美しく、成熟したものに憧れる気持ち、
この気持ちは止めなくていいんだと。




わたしは憧れを止めない。


その対象と
自分がどんなにへだたっていようと。


いつかそれに近づける、
そんな保証はどこにもないけど。





自分の憧れに羽を与え、
自由に飛ぶことを許す。




憧れのまなこで、
見つめ続ける。




…そうすれば、
いつか何かを学べるだろう。

ぐるぐる

今ちょっとまたこわい。


土曜日のフォーカシングで
「白い蛇」のイメージが出てきたの。

わたしのおなかの中に小さいきれいな蛇が、
とぐろを巻いていて、
首をもたげてぐるぐる螺旋を描きながら
上に上って(伸びて)ゆくの。

どんどん上ってどうなるんだろうと思っていたら、
次に
苦しみもがいているスズメバチのイメージが出てきて、

そしてまた蛇が出てきて上に上ろうとして…




リスナーの人に、
「この蛇は上に上っていけますか?」って聞いてもらった。

「大丈夫。そのうちに」って、
わたしの中のものが答えた。




そのときは
なんとなく納得したけど、
あとからこわくなってきた。







これはもしかして
クンダリーニ上昇っていうアレですか?

苦しんでいるスズメバチっていうのは、
この蛇がスムーズに上に上っていけないことを
あらわしているように感じる。



体のどこかでエネルギーの道が詰まっているんだろう。




でもそのうちに上っていくらしいけど、

わたしにとってこれはいいことなのか、どうなのか。




自然に覚醒しちゃう人もいるらしいから、
けっこうよくあることなのかも。

大体、わたしの気のせいかもしれないし。
大げさに感じているだけなのかもしれないし。



でもなんだか体も頭もふわふわむずむずして、
調子が狂っていて、
このままいっちゃうとダメージを受けそうでこわいんですよう。








今日はダリンが出張でいないから、
早く帰って絵を描いて発散しようと思っていたのに、
残業しちゃったし、
家に着いたら友達の愚痴の電話につきあわされて、
気がつけばこんな時間…



でも今日も寝る前に瞑想しようっと。
これから自分がどうなるのかわからないけど、
ここまできたら、もう
引き返せないもん。




でも
きっとわたしが大げさなんだよねえ

蜘蛛の糸、
手放すことも出来ず、
かといって、
それをたぐって登っていくことも出来ず、
宙ぶらりんでゆれている



誓ったはずだ。
病めるときも 貧しいときも 悩めるときも ともにあると


だけど
ごはんと寝るところとひきかえに
自分で自分を奴隷にすると契約した覚えはない
一生檻の中に入っていると約束した覚えはない


安定とひきかえに、
魂を売り渡した覚えはない





だけどわたしは出て行かない
外は寒くて雪が降っている
あたたかいごはんと、あたたかい寝床から
離れられない







蜘蛛の糸
ひきちぎることも出来ず、
飛ぶことも出来ず、

虚空でゆれている




blank

先日の新年会でのことです。

シモネタをふられて、
フツーに応じていたら、
先輩のお兄さんから
「sheepさんのイメージが狂っちゃうから、
もうそういう話はしないでください」
と言われ、

「えっ、わたしのイメージって…
清純派? 上品系?

マジでよころんでました。


しかし夫にそのことを話すと、
「それは意味がちょっと違うな。
『おめーのシモネタなんて、想像したくねえよ!』ってことだよ」とコメントされて、

今度は
マジにへこみました。





なんだかねえ~

言われた言葉全部、
馬鹿正直にそのままの意味にとって、

こんなに浅はかなまま年をとって、



なんだかな~

「子供」からダイレクトに「おばあさん」になっちゃうみたいな。




その間の「大人の女」時代っていうのが、
ないんだよね。



いつも無邪気で、平和で
色気ゼロ。



つまんない。

こんなのつまんない


(いや、別に女っぽくムンムンしたいとか、
そういうことでもないんですけど)





結婚してるし、
けっこういろいろやってきてる(?)のに、
そういう経験が、自分の中で生きていないっていうか。





小さいころから感情を抑えてきて、
そのうちに
抑えていることさえも忘れてて、



どこか一部分の成長が止まったまま。



これがふつうの自分だと思ってきて。
でもなぜか
いごこちが悪くて。

平和なはずの毎日に、
どうしてイライラするのかわからなくて。











感じるこころ、受け取る力が育たなければ、
何を経験しても、
自分のものにはならないんだね。




いろんなことがあったはず。
でもその時間は
ブランクのまま。
白いまま。




失われた時代を
とりもどすことなんて
できるんだろうか。


父の話

「自分はいったい何がしたいのか」
「自分の人生の目標は何なのか」

それを考えようとすると、
瞬殺。
思考停止。

わたしの心に強力なブレーキがかかってるの。



触ることはおろか、
見ることもできない、



わたしはあまりにもそれを恐れていて、
そっちを向くことさえできない。

ブレーキの存在さえ、
気づかないふりをして生きてきた。






今やっと言えそうだ。
「わたしの心には強力なブレーキがかかっている」

そして、そのブレーキを握っているのは、
お父さん。


多分わたしのお父さん。
そうじゃない? 違う?


あんなにも自分の好き勝手に生きている人なんて、
それで全然罪悪感を感じていない人なんて、
お父さん以外に知らないもん。









小さいころ、

父と海に行った。

全然泳げないわたしを
父は海にほうりこみ、




おぼれながらわたしは父を見ていた。

父はわたしを見ていなかった。
岩の上にすっくと立ち、
笑っていた。

若々しい父は、腰に手を当てて
楽しそうに笑っていた。





すごく小さかったころ。
現実にそんなことがあったのかもわからないくらい昔のこと。






おとうさん、わたしを見て!

わたしを助けて!








だけど
40数年間。

父はわたしを無視し続け。

わたしは父を拒否し続け。









はちゃめちゃな会社のおやじたちに、
わたしがついて行っているのは、

彼らが「昭和のお父さん」の濃縮ジュースみたいなやつらだから。
多分そう。

腹を立てながらも楽しいのは、
40数年分のお父さん濃縮液にひたれるから。
どっぷりひたれるから。







あぜさんとのセッション数ヶ月で、
いろんな話をした。
自分の話、夫の話、
母の話、義母の話…

だけど父の話はしなかった。





父の話はできなかった。




父は、

大きすぎて、まぶしすぎて、
直視することができずにきた。





いえ、そうじゃない。
以前受けてたメールカウンセリングでは、
毎回ほとんど父のことばかり話していたんだ。

なぜって、そこでは、そのときは、何も解決しないって、
わかっていたから。
だからとめどなく父のことを話し続けることができた。





だけども、

あぜさんは凄腕のひとでしょう。

そのセッションでなら、
わたしは父とのわだかまりを乗り越えてしまうかもしれない…





父との関係にとどめをさすのがこわいのだ。
等身大の父を見出すのがこわいのだ。











一番大きなブレーキをはずしたら、
わたしはどうなっちゃうんだろう。

等身大のわたしを見出すのがこわい。






だから、次回は父の話をします。





調子っぱずれの女神?

ここ2週間ほど、またしても調子悪いです。

ひとつのきっかけは…
もしかしてこの絵?
狂った春の女神?

ジャックロさんが描いてくれたわたしの似顔絵です。

似てない?

いいのです。
これは「こうなったらいいんじゃないの~」的な
未来のわたくしなのです。

3時間くらいかかったでしょうか。
ジャックロさんと色々と会話しながら、
わたしの外見がどう見えるのか? ではなく、
わたしがどんな人間なのか、を描いてもらったのです。

ちょっと顔の曲がった「春の女神」って感じですよね
左上には天使になったミルクが、
右下にはファイバーがくっついているのです。

とってもステキに描いてもらって満足したのですが、
途中のジャックロさんとの会話がコワかった。
「あなた霊感ありませんか?」
「あなたの中には、あの世のエネルギーが流れ込んでいる。
 それは自分でコントロールできるものではない」
「あまりこのエネルギーが出てしまうと、
 ガンとかになっちゃう…」

字面だけ読むと、
細木和子センセのセリフみたい。
ジャ・ジャックロさん、こわすぎます~


わたし、霊感ありません
幽霊もUFOも見たことありません。

だから人一倍そういうのを恐れているのかな。


絵の出来上がる過程もなかなかスゴかったですよ。
初めはポワーンとしたわたしの普通の外見を描いて、
その後
だんだんに内面を描いていったのですが、

途中で
どう見ても人間じゃない顔になったんです。
それは…
気の狂った修羅の目でした。

それから何度も消しては描き重ねて
最後に柔和な顔になったのですが、

それを見ていて、
ああやっぱり、と思うと同時に、
空恐ろしい気持ちになったのです。

わたしの中には修羅がいる。
わたしを駆り立て、荒れ狂うものがいる。
それを自分ではコントロールできない。
最後は平和で調和のとれた姿になれるとしても、

まだまだ道は遠そうな気がして…



その時引いてた風邪が悪化して、
そのまま怒涛の月末締め仕事になだれこんで、

凡ミス続出。
職場のかたに大変ご迷惑をかけてしまいました。
それも、ああ自分ならやりかねんなという感じもして、
自信喪失。
仕事も私生活もダメダメモードです。


生徒達にピシッと「遅刻はダメよ」とか言わなくては、
と思っても、
自分のダメさが思い浮かんで、
言えません
また失敗するのではないかと思うと、
書類に線を一本引くにも、手が止まってしまいます。


まあこのところ走り続けてきたので、
息切れしたんでしょうね。
でも、このままダメモードでは困ります。


んー、道は遠いってことなのかなあ…

私はあなたの代わりに走馬灯を回し続けてる

トラックバックをくれたたまちゃんの日記を読んで、
大学1年のときに亡くなった友達のことを思い出しました。



私は子どものころからずっと引っ込み思案で、
人との付き合い方がわかりませんでした。

小学校、中学校時代には友達と呼べるような友達がおらず、
だから、いつも転校生と一緒にいました。
でもその子たちともクラスや学校が変わると、
離れてしまう、その繰り返しでした。

そんな私に
たった一人、中学から高校を通じてつきあった友達がいました。


学習塾で知り合ったアキコちゃん。
彼女は
ブサイクで、
努力しても私より成績がよくなくて、
耳が悪くて中学校の頃から補聴器をつけていました。

性格もひねくれていて、
正直私は彼女のことを
あんまり好きではなかったかもしれません。


何でアキコちゃんがわたしにくっついているのか、
わからなかったけれど、

あるとき彼女が言ったことがあります。
「sheepは私よりもちょっとだけ顔が良くて、
         ちょっとだけ頭が良くて、
          ちょっとだけ耳もいい」と。

同病相憐れむみたいな感じだったのでしょうか。


私たちは2人とも、
人とうまく関われませんでした。
だからいつも2人でいました。

彼女のことをあんまり好きではなかったけど、
自分よりちょっとだけ劣っているアキコちゃんは、
私にとって、便利な存在だったのです。




そんなアキコちゃんは、
お母さんの勧めで、自分の希望とは違う大学に行きました。

大学に入った夏、
彼女からの手紙にはこう書いてありました。
「耳が悪くて、人から話しかけられても答えられない。
 自分から挨拶しても、ぎこちなくて避けられてしまう。
 大学の授業も、意味が見出せず、むなしい」と。


季節は変わってその冬、
また彼女から手紙が来ました。
「がんばって自分から人に話しかけているうちに、
 だんだん仲良くなれた。
 授業にもやりがいが出てきて楽しい。
 今度友達とスキーに行きます」と。


私は「アキコちゃんは大人になろうとしているんだ」と感じました。
初めて彼女のことを、ステキだと思いました。
私も彼女みたいになりたいと。

そして思いました。
「アキコちゃんとは、
この先ずっとつきあっていけるかも」、
「何十年もたった後で、
今このときを2人で振りかえって、笑いあえるかな」と。



でもアキコちゃんは死んでしまいました。

スキー合宿でお酒を飲みすぎて、
急性アルコール中毒でした。
朝みんなが起きたら冷たくなっていたそうです。



わたしはひどいショックを受けました。

何かをつかみかけていたアキコちゃんが死んで、
いまだに何にもわからない私が生き残っている。

なぜなんだろう?
わたしの生きている意味は、どこにあるんだろう?



それからわたしはノイローゼになり、
大学もやめてしまいました。


「わたしの生きる意味はあるのだろうか」
ずっとずっと考え続けてきました。






あれから20数年がたちました。





あのとき思ったのです。
人は死ぬときに、
走馬灯のように自分の人生が見えると言うけれど、
アキコちゃんも走馬灯を見たのだろうか。

アキコちゃんの
止まってしまった走馬灯を、
私が代わりに回し続けようと。





私には人生を振り返って笑い合える人たちがいる。
生きる意味はいまだによくわからないけど、
生きることは楽しい。

確かに楽しく、素晴らしい。

意味などいらない。
ただそれだけでいい。




アキコちゃんと語り合えないのは残念だけど、

あきらめずに生きていればなんとかなる、
やっと私にもそれがわかった。



だから、

感じやすすぎて、傷付きやすすぎて、
人生をあきらめかけている人たちと、
これからもつきあっていきたい。
そう思うのです。

だいちゃんおにいちゃんは幸せだった

小さいとき近所に住んでいた、
幼馴染のおにいちゃん。
確か「大輔」っていう名前だったと思う。
大ちゃんは一人っ子で、
年の近いわたしを妹のようにかわいがってくれたらしい。

「だいちゃんおにいちゃん」とわたしは呼んでいた。



引っ越して離れ離れになり、
いつしか大ちゃんがどんな子だったのかも忘れてしまった。
わたしの記憶に残っていたのは
「だいちゃんおにいちゃん」という呼び名だけだった。



20数年が過ぎ、
あるときわたしの親から告げられた。
もう結婚して子どももいた「だいちゃんおにいちゃん」が
ガンで死んだと。

そのときも、
ちょっとかわいそうに思っただけだった。




しばらくして、
おにいちゃんのお母さんから手紙が来た。


「大輔は、大学時代は成績が良く、○○の花形選手で、
会社に入って△△の業績を上げて認められ、
愛する妻に恵まれ、
子どももできがよくて…」と

えんえんとおにいちゃんの自慢が書かれていた。

そして最後にこう書かれていた。
「素晴らしい業績を残し、みんなに認められ愛されて、
大輔は本当に幸せ者でした」と。




わたしはそれを読んでびっくりした。

死んだ子の自慢をえんえんと書き連ねる、
この人はいったいどうしたんだろうと。

とてもえぐい気がしたのだ。





でも、今ならわかる。
あのお母さんの気持ちが。
たった一人の愛する息子が、亡くなって、
「本当に幸せ者だった」と書きたかったお母さんの気持ちが。


死んだ人はみんないい人で、
早死にするのはみんな美人だよね。



自分も経験してみなければ、
わからないことってあるよね。


あのお母さんに言ってあげたいな。

「だいちゃんおにいちゃんは、本当にいい人で、
本当に幸せ者でしたよね」と。


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