青いひつじ

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愛と桃と夢

おとといになりますけど、

柏市の愛と桃舎にお邪魔してきました。




1年と少し前、半年間、

私は愛と桃舎のあぜさんのセッションに
大変お世話になりました。


松戸に住むと決まって、地図を見たら、
柏の隣町なことが分かって、
ご挨拶に行きたいと思っていました。


うちには先日
ダリンのお母さんから届いたメロンがあったので、
それが食べごろを逃さないうちに、
っていうことで


急遽「じゃあ今から行きます!」って、
持って行きました。

090729_204840.jpg



私のもよりの駅と柏は
快速電車を使えば駅2つ分しか離れていなくて、
きっかり30分で着きました。

あまりの近さにびっくり。



柏駅は大きくて、
マルイもあるし、高島屋も…いろんなお店があってびっくり。


愛と桃舎は駅からすぐ近くのマンションの7階にあります。
かなり便利なとこで、

道順もすぐ覚えられました。






電話やら札幌での出張セッションで
あんなに助けてもらいながら、

愛と桃舎本拠地の柏には
一生行くことはないだろうと思っていたのです。


その柏を
こんなにあっさり訪れることになるとは…


ある意味夢のようですね






これから何回かここをお訪ねすることになるでしょう。



まず
1日コースのスペシャルセッションというのを受けようと思います。




ちょっと今自分はピンチだと思うんですよね。
チャンスかも知れないけど。


なので。






専業主婦の自分には、結構な金額ではあるんですが、


1日がかりで2人のすご腕のセラピストに
あれこれちょして(北海道弁)もらえるんですよ

多分すごくお得なんじゃないでしょうか。
ヘソクリを何とかして行ってみたいと思います。


あなたの人生をシフトする、愛と桃舎




それでまた、
受けてみた感想とか、こちらにフィードバックしますね。
               ↓
珠帆印特選セラピスト~
       実体験から推薦するカウンセラー、セラピスト



どうか皆様のお力を貸してください 
                (たまちゃんからのメッセージ)






ピンチだとは言っても、
今の私は

以前の
途方にくれて行き場が分からずにいた頃とはかなり
…いえ、全然違っていると思うんですよね



でもきっと今も
闇の中で
誰にも助けてもらえないと思いながら

それでも、
あきらめきれずにもがいている人が沢山いると思うんです。



そういう人が一人でも多く、
人生の灯りを手にしてくれたらいいなと思います。


私も、もっともっと風通しのいい人生を送りたいな


愛と桃舎のお二人、よろしくお願いしますm(_ _)m


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ありがとう。さよなら。

昨日はあぜさんの対面セッションを受けてきました。




前回のセッションで、
黒くてこわがりの「キョロちゃん」が
アーティスティックな2つのイメージに変貌してから2週間。



わたしの中には描きたい絵のイメージが生まれていて、

でも実際に描こうとすると
自分の画力のなさが思い知らされて、
(バラの花ひとつ、満足に描けやしない…)
手をつけられずにいました。



でもとにかく絵が描きたくて…

そこで、セッションにスケッチブックとパステルを持って行きました。

セッションで出てくる何かを
ここに描いてみようと思って。




今まで
「今日は何をテーマにしようか?わからないな」と思っていても、
あぜさんに話し始めると何かが出てきて、
思ってもみないような展開になり、
とりとめのない話の中からその日のテーマが見つかる…

その繰り返しだったので、

今回も
「何を話したらいいのかわからないな」と思いながらも、
セッションが始まれば何かが出てくると思っていました。




でも、
何も出てきませんでした。




ダリンの日本一の秘密を語り、

会社では「事務はいまいちできないけど、
なんとなくみんながホッとする存在」として周りと楽しくつきあえていること、

すごく絵を描きたいこと、

それだけ話したら終わりでした。





過去からひきずってきた辛さは、すでに流れて消え去り、

現状への不満は、
消えたわけではないけれど、心の中の
「そのうちになんとかなるさ」の棚に収まっていて、

セッションであぜさんに訴えたいことは
とりあえず何もなくなっていました。


もう何もなくなっていました。




前回のセッションで最後にわたしは「キョロちゃん」をつかまえたけれど、
あぜさんは「あれで大丈夫だったのだろうか」と危ぶんでいたそうです。


確かに途中でキョロちゃんが逃げてしまったり、
見えたり隠れたりしていたときは、
わたしも「これはもうダメかも」と思ったのですが、

「何とかやってみよう。あぜさんがついていてくれるし」と思って
いろいろやっているうちに、

何とかなって、
キョロちゃんとの距離が縮まり、
キョロちゃんが小さくなって、とても愛しいものになり、
さらに大きくなって、とても美しい二つのものに変貌したのでした。





考えるに、
「キョロちゃん」はわたしの存在の「核」なのだと思います。
今までそれをわたしは「社会からはみ出す悪いもの」として否定して、
見ないようにしていた、

けれども一方では
それをしっかりと掴み取りたいという願いも持っていた。


がんばって手中におさめたキョロちゃんが
大きく変貌して美しい姿を現したとき、
もうわたしにはそれを否定することはできなかった。


もうただただ愛しくて、
否定することなど絶対に無理だとわかった。



表面上どんなに自分を批判し、自己否定していても、

どんどん掘り下げていって
最後に出てきた自分の「核」を、
否定することはできない。

わたしには絶対にできない。




そうわかったとき、
わたしは白旗をあげたのです。

自分を苦しめ、立ち止まらせるためだけの、
心の中の戦いに

喜んで

無条件降伏したのです。






平和は戻った。

もちろんいろいろな不満や不安はあるけれど、

それらは

「これからがんばって取り組んでいきましょうね」というだけのものになり、

「努力してもできなければ、しょうがないよね」というだけのものになり、


もうわたしは戦わない。

戦わなくていい。











話すことがなくなって時間があまったので、
あぜさんの似顔絵を描かせてもらいました。

あぜさん


(全然似てねえ…
 こっちのほうがマシかな)
20080223あぜさん似顔絵






さらに時間があまったので、
あぜさんに肩こりをとってもらいました。
(なんて贅沢なんでしょう)














そうして

最後に言わなくてはならないことは
わかっていました。





「ありがとう」

そして

「さよなら」

この半年間のセッションは
こわくもあったけれどとても楽しくて、毎回待ち遠しい時間でした。



今は
すごくさびしくて、やっぱり心細いけれど、

すごくうれしくもある。





本当の「ありがとう」が言いたい。

本当の「さよなら」を言いたい。



そのために、
昨日再びあぜさんにお会いしたのでした。








あぜさんの天才的な手腕のおかげで、
一枚一枚自己否定の殻を脱ぎ、
わたしは
「自分自身を好きなのだ」ということを知ることができました。




マイナスの泥沼から抜けて、
ゼロの地点に立つことができました。






戦いは終わった。

これから始まるのは

新たな冒険の日々。







冒険の道の途中で行き惑ったら、

そのときはまたよろしくお願いします



あぜさん本当にどうもありがとうございました





そして、
日本一のダリン、お友達のみなさん、

ふつつかなわたくしですが、

これからも どうぞよろしくお願いします

青いひつじ

幸せものだ

明日あぜさんに会うのだ。
あぜさんとはこの半年間、
何度も電話でセッションを受けてきたけれど、
実際に対面するのはこれが2回目。


半年前のわたし。
「家事が出来なくて、何年も苦しんでいる。
家で時間があるのに、インターネットや本を読んで現実逃避してしまう。
このたび仕事を始めたいと思い、
それまでに家の中のことをスムーズにできるようになりたい」



今のわたし。
「あいかわらず、家事できましぇ~ん。
家の中はこちゃこちゃ。やめようと思いながら、現実逃避もやっぱりしてる。
仕事でヘロヘロして、自分のやろうと思うことは後回し。
なんだかなあって思ったり」


でもいいの。






昨日は2つ感動することがあった。



まずひとつめ「禅師の説話」
職場のステキ先生の、ためにな~るお話が聞けたこと。
テーマは「面接のツボ」。

元訓練生の、
わたしのオキニの男の子が学校に来て、
なかなか就職が決まらないとか雑談してたところに、

ステキ先生が通りかかって、
その子に
「私の場合はこうするよ…」とお話してくれたの。

長いお話だったけど、
かいつまむと、

「雇用主と自分は、ギブアンドテイクの対等の関係とこころえる」

「自分の持っている「宝」(能力や経験や可能性)が、
相手の欲しがっているものと合えば、
『あなたが欲しい』と言ってくれる。
もし『欲しくない』と言われても、それは
『相手の欲しいものとは違っていた』というだけのこと」

「相手に気に入られたくて、無理して表面をつくろっても、無駄。
そんな無理をして会社に入っても、続かない。
それよりも、自分の「宝」を自分でしっかり把握し、
表現できるようにしておくこと。
そうすればどんな質問が来ても、ぶれない」

「そのために自分の人生の来し方・行く末を具体的に棚卸しして
自分の中から宝を掘り出す。
それは辛いけど、やらなければならない」


… …


お話のポイントは「誇りを持ち続けること」。だと思った。



面接だけでなく、すべてにおいて、
「誇りを持ち続けること」だと思った。


この先生すごいよなああああっ



もはや、「禅師」
もはや「説話」って呼んじゃうよ


もう男の子もわたしも
目えキラキラで禅師を見つめ続けたの。


「今度新しい職務経歴書を書いてくるので、
見てください!」と、
「がんばるぞお」と自分のホッペをピシピシたたきながら
オキニの子は帰っていった。

いい仕事が見つかるといいなあ





感動2つ目。「ダリンは日本一」

禅師の説話に感動して
家に帰ると、


ダリンが…


ダリンがまたすごいの。

「日本一」なの。


これで20年来の謎がとけたの。







…この続きは明日話そう。


昨日は感動してワクワクして
全然眠れなかったから、
今日はもう寝る。




とにかく思うのは、

家に帰れば日本一のダリンがいて、
会社では禅師以下ステキなメンズに囲まれて、



わたしは幸せものだねえ。

おやすみなさあい。


お墨付きをもらった

昨日はみっちぃさん主催のゲーム会JOYのインプロに行きました。

遅れて会場につくと、
スタジオの中からなにやらすごい獣のような咆哮が響いている…
おっかなびっくりドアを開けると、
中では大の大人数名が、
歓喜の雄たけびをあげながら、
走り回り、ハイタッチとハグを繰り返しているのでした。

いつもながらのインプロ風景、
寒い中、今日も盛り上がっております



今回は最近人気の「引き寄せの法則」を取り入れたゲーム会で、
最後に「自分のほしいものを絵に描く」というのをやりました。

お絵かき大好きなわたくしは、
大喜びでスタート!




でも自分のほしいものってなんだろね?

服がほしい、vistaのパソコンがほしい、
いろいろほしいけど、
どれも、今のままでちょっとやりくりすれば
かないそうなものばかり…

やっぱり
一番ほしいものは、
愛だろ!
自分自身への愛、夫や身の回りの人への愛、
そして世界への愛…



っていうわけで、
わたしはこんなのを描きはじめた。
もとハート


ところが、
「途中まで描いたら、隣の人に渡して、
隣の人がそれに何か描き加えてください」と指示が入り、

「え~?」とか思いながら、
タイトルを書いて、
めいめい隣の人に絵のつづきをバトンタッチ。

タイトルは「世界との和解」って書きました。
本当は「世界との融合」にしたかったんだけど、
ちょっと遠慮したの。



わたしが描こうとしたのはこんな絵。
世界の融合ハート


大きなハートから流れ出すものに、
世界がひたって溶け出していく…
そんなイメージだったんだけど、



どんどん隣へ隣へと絵がわたっていき、
7人の手が加わって
わたしのところへ帰ってきた絵は
こんなふうになっていた。

スキャンハート


平和ですね、握手してますね、芽も出てますね~


自分が描こうとしたのは、
諸星大二郎の「生物都市」が入ってますな。
心地よいけど、ちょっとコワいかも…

みなさんの手が入って、
とってもPeaceful な出来上がりになりました



自分以外の人に手渡すことによって、
自分の願いが発展していい感じになっていく…

そういうものなんですね~


人に見てもらうことによって、
自分の願いが「お墨付き」をもらった…そんな感じもする。



  

帰るとダリンから一言が。
「あんまり恥ずかしいこと、書くなよ」と。

わたしが出かけている間に、
このブログを読んだらしい…


「俺の悪口を書いてるんだろう」と言うので、
「ダリンのことがどんなに好きか、書いてるだけだよ」って言ったら
「ふうーん」ってなんだか納得してた。


ダリンは自分も文章とか書くから、
わたしが(どんな形であれ)自己表現することに批判はしない人なんだ、と確信。

ダリン公認ブログだねっ、最強の気分だよ

セッション報告大詰め(5) まる、ときどきトンガリ

このいとしい気持ちを、キョロちゃんに分かってほしい。

そう感じながら
なでつづけているうちに、


あら?

キョロちゃんが大きくなってきたような。
ふくらんで、盛り上がってきた。



sheep「大きくなって、
     もう「キョロちゃん」という呼び名ではないかも知れないような。  
     なんだろうこれ?山なのかなあ?」


あぜさん「なでつづけてみてください」




なでているうちに、
それはだんだんと大きくなり、
はっきりとした形をとった。



「何だか壷のような形になりました。
土台は広くて、
その上に球体が3つ乗っているような。上は細くすぼまって、口があいている」


「そのままなでていてください」




さらになでていると、




何だろうこの曲線の感じは? 女性の体なのかなあ?

上のでっぱりはおっぱいでしょ。
下のは腰でしょう。

真ん中のは…、ああ、子宮が入っているおなかなんだなあ。




やっぱり女体なんだ~


「そんな気がしますね。
 その女体はどんな感じですか?」


「色ガラスのように硬くて、つるつるしてます。ピカピカ光っています」




その手触りを確かめるようにさらになでつづけ




「ああ、
 これ、縦に立ってると女体だけど、
 横にしてみると、山水画みたい。
 丸い山が3つ並んでいて、霞がかかっているような」




硬くてピカピカ光っている女体の壷。
女体壷


ボーっとやわらかなタッチの山水画。
山水画

同じ曲線をもとに、
まったく対照的な2つのイメージが浮かぶ。


壷もいいなあ。山水画もいいなあ


どっちでもいいんだ。


「ああ、どっちでもいいんだ」

「どっちでもいい」

「どっちもありなんだ」

「どっちもありなんだ」

「どっちもやりたいんだ」

「どっちもやりたいんだ」

「もしかして、どっちもできている?」

「どっちもできている」

「どっちも好きなんだ!」

「どっちも好きなんだ!」






それでいいんだ!
わかった、わかったあ







sheep「わたしには、丸い面ととんがった面があるんです。
     ボーっとした山水画と、くっきりピカピカの壷のような。

     今までは主に丸い面を外に出していて、
     とがった面は隠していたんですよね。

     とんがり面というか、攻めの面を出すと、
       (そんなに攻撃的というわけじゃないけど)
     周りがびっくりしてドン引きするとか、
     周囲を傷つけて、関係が立たれてしまうと思っていたんです。

 
あぜさん「関係が絶たれてしまうと思っていた。でもそれも思い込みかもしれない」

「そう、思い込みだと思います」
「それに、
 とんがり面を隠していても、どうしても出てしまって」




絵を描いても、平和な絵なのにどこか毒があるような。
なにか腹にイチモツあるって感じで
隠すとかえって良くなかった。




二つの違う面を、
両立させることができる。

本当はできるんだ。



自分の好きなように、出したい面を出していいんだ。





とがった面を外に出したとしたら、
どうなるだろう…考えてみた。



「大丈夫みたいです。
わたしはもともと平和主義者で。
人を傷つけたりするのは好きじゃないし、
もちろん犯罪行為に走ったりもしないし。

だからやりたいようにやっても、
そんなに悪いことはしない。


それに、世界には両極が存在しているから、
そんな中でわたしの触れ幅は、
きっとたいしたもんじゃないだろう、
世界のキャパはもっと広いって気がする」









「…うん、大丈夫みたいです。
 わたし、
好きなように生きます


「それがいいですよ~」


「今までは、
 やらなきゃいけないことを済ましてからじゃないと、
 やりたいことはやっちゃいけないって思ってました。
 でも、
 それじゃいつまでたっても好きなことができるようにならない」


(一番好きなネタは最後にとっておくなんて…、
 寿司屋じゃないんだから)
 
「好きなことをやらないと、パワーが出ないですよ」

「そうですよね。
 義務を済ませてからじゃないと、好きなことができないなんて、
 そんなのやれるわけない、無理ですよね」







「今日のテーマは、この前のテーマとつながっているんですよ」

「 ? 」

「この前は『自分の外の二つの世界(AとB)をつなげる』っていう話で、
 今日のは「自分の中の二つの世界を見て、どっちもあり」っていうことで、
 つながってくる…」

「わあ、ホントだ。すごい

「すごいと思いますよ」





「すごいですね。でも
 ここまで来るのに長かったなー、って気もします」


「そんな気もしますかー」

「今まで(何十年も)かかってしまった。
 チクショーって感じもあります」




 一生あのままでいることを思えば、
 今気づいて運がよかったとも言える。
 でも一番からだもこころも良く動く年代は、
 もう過ぎ去っちゃったじゃないか、
 
チクショー

チクショー

チクショー



でも、過ぎ去った時間はしょうがない。
しょうがないから、もういいや。




「そのチクショーをばねにしていけば…」

「そうですね。
それをばねにして」













「うん。大丈夫です」

「大丈夫みたいですね」

「はい。ありがとうございました」







  
わたしの内部には、二つの対照的な面が存在していて。
その内面の葛藤が溜まって、苦しくなって、
やがて爆発して…、


解決のために自分と直面しようとすると
(直面することへのおそれから)
見つめているものは、ボーっとあいまいになり、
消えてしまう。

でもなくなったわけではないから、
やがてまた出てきて、
再び葛藤が溜まり…


ずーーーーっと、その繰り返しだったのよね。




でもそれはもういやだとわたしはがんばった。
ここまでがんばった自分を
自分でほめてあげたい。



わたしにとって自分と直面し、自分を知るということは、
本当にこわい。
このおそれは一生消えることはないだろう。
でもどうしてこんなにおそれるのかといえば、
自分を知ることが、本当は一番の喜びだから。

だからだと思う。
これからも、わたしはおそれながら進んでいく。



そして、
一人ではどうしても乗り越えられなかった壁を
乗り越えさせてくれた
あぜさんに限りなく感謝です。

ありがとうございます。



セッション報告大詰め(4) あなたが、大切だと、分かってほしい

いつもと同じことをしてもだめなんだ、
無理やり追いかけて、力で何とかしようとしてもだめなんだ、

じゃあ、どうしたらいいんだろう?

キョロちゃんは消えちゃったし、
困った。うーん、困ったぞ。



と思っていたら、

あ。
キョロちゃんが戻ってきた!



sheep「…今キョロちゃんは、塀の向こうからこちらをうかがっています」
(「家政婦は見た!」みたいに)



やっぱりいなくなったわけじゃないんだ。



「うーん、どうしよう~。
 この塀を揺さぶって、その振動をキョロちゃんに届けてみますね。

 (直接行ってだめなら、間接的に刺激を与えてみたらどうよ!)



ゆさゆさ、ゆさゆさ


塀の振動につれて、キョロちゃんは顔を出したり引っ込めたりする。



うーん、やっぱり、
出たと思ったらひっこんじゃう。
困った、困った。



「出たと思ったらひっこんじゃう」
こういう感覚も今までもあったよなあ。

でも、今日はここから先に進むんだ!




「その困った感じを味わっていてください」



わたしは困りながらも、塀を揺さぶり続けた。


揺さぶるうちに、
だんだんに、わたしとキョロちゃんを隔てる塀は小さく縮んで、
シャープペンシルくらいの大きさの棒になった。


キョロちゃんはシャーペンの頭についたマスコットのように、
ちょこんと棒の先っぽにくっついているではないか!





そこで、わたしはシャーペンをそっと置き、
キョロちゃんの頭をなでた。



「今キョロちゃんの頭をなでています」


「ええ、なでてあげてください」



なでなで…なでなで…


なでているうちに、泣けてきた。
キョロちゃんが、とってもかわいくていとしい。



「キョロちゃんはとっても小さくて…

わたしがやさしくなでているつもりでも、
キョロちゃんには相当な力に感じられるのかもしれないなと。

キョロちゃんを傷つけるのではないかと心配です」


「ほんとうにちっちゃいから、
ただ手の中にそっと包んでいるだけでもいいのかもしれないけど、
なでつづけているのは、

キョロちゃんに、
わたしがかまっていることを分かってほしいからです」

「キョロちゃんに、自分がかまっていることを、分かってほしいんだ」

「分かってほしい」


分かってほしい。
わたしはあなたを傷つけるつもりはないことを。
あなたと通じ合いたいと強く願っていることを。


あなたがどんなに大切だと感じているか、
分かってほしい。



(つづく)

セッション報告大詰め(3) キョロちゃんを追いかけてみます

080208キョロちゃん

くるくるした目の「キョロちゃん」がこっちをじっと見ている。
(というか、まっくろくろすけだなあ、これは)


きょとんとした目でおどけてみせているけど、
おびえている

やっぱりおびえている。

おびえを隠す為におどけて見せているんだと分かった。



sheep「キョロちゃんはおびえています」

あぜさん「キョロちゃんにはこちらがわはどう見えているんだろう?」

「キョロちゃんから見ると、わたしは…
 ああー、
 狐みたいな獣に見えています。
 肉食獣。
 その獣もキョロちゃんをジーッと見つめています。

狐



 キョロちゃんはおそれているんです。
 『何をされるんだろう?』って。

 でも獣のほうも何かをおそれているのです。

 お互いにおそれながら見つめあっているんです」



「キョロちゃんも獣も、両方とも何かをおそれているんだ。
 キョロちゃんに、
 『何かをおそれているんだね』『何をされるのかわからなくて、こわいんだね」って
 言ってみたら?」


「…言ってみます。
 『あなたは何かをおそれているのね』
 『何をされるのかわからなくて、こわいのね』」

 

「ああ、だめです!キョロちゃんは反応しません。
 キョロちゃんは『何で?何で?何で?』って考え続けているんです」


「言葉をかけても届かないような感じですか?」

「ええ、キョロちゃんは
 『自分は何をこんなにおそれているのか?』って考え続けていて、
 こっちが言葉をかけても反応しません」





「言葉をかけても反応しないんだ」

「ええ、でも、ずっとこうでしたから」

「ずっとこうだった?」

「考え続けて今までずっと来ました。その繰り返し。
 『何で』と考えても無駄だと、もうキョロちゃんには分かっているんです」

 『何で?何で?何で? 自分は何をこんなにおそれているんだろう?』
 ずっと考え続けて、その繰り返し。
 でもそれじゃ何も変わらないから」




「じゃあ、今日はどんなことをしてみたらいいんだろう?」

「うーん。

 あ、今こうして話している間にも、キョロちゃんは(何かされると思って)
 おびえて遠くに行ってしまいました。

 キョロちゃんを追っかけてみます!

「ああ~」

キョロちゃあああ~ん どうして遠くに行っちゃうのよお

「今キョロちゃんをつかまえました。そんで、パシパシたたいています」

「はあ~、たたいてるんだ」



「…たたいたら、キョロちゃんは消えちゃいました


「キョロちゃんは消えちゃったんだ…」


「はい。
でも、ここまでも何度もあったことのくりかえしですから」





何かに直面しようとすると、その何かは消えてしまう。
わたしはそれと直面しなくてすんで、一瞬ホッとする。
その繰り返し。



「正直今ホッとしています…」




でも、その何かは一時的に消えただけで、なくなったわけじゃない。
また同じものが出てきて葛藤する。
また直面しようとすると、それは消えて見えなくなり、
でもやがてまた出てきて…



そのくりかえし

くりかえし

くりかえし

くりかえし

END LESS

それがわたしの今までの人生。

それはもう、いやだ。





…でも、じゃあ、どうしたらいいんだろう。

困った。うーん、困ったぞ。



(つづく)

セッション報告大詰め(2) 見えそうで見えない 触りたいけど触れない

sheep「お皿の面が、池の水の面のように見えて来ました」

あぜさん「どんな感じの水ですか?」

「深い水。手を入れられるような感じ」

「手を入れるとどんな感じがするでしょうか」

「やわらかい。ひんやりしている」

「手だけじゃなく、全身をその水の中に入れるというのもありですよね」

「はい」



水の中に入ってみようっと♪



「何か見えます?」

「水の流れ・動きが見えます。
 うねりながらうずを巻いてわたしの周りを回っています」


「それを味わってみてください」



味わってみて…

ああ、水の向こうに何かが見えそう。でも見えない。
いつもこうなんだよな。



「何かが見えるようで見えない…」




「何かが見えるようで見えない」
そこで立ちすくんでThe End
これもいつものことだ。


でも今日はここで止まらないぞっ!




あぜさん「何かが見えるようで見えない…それを感じているとき、
体はどんな感じですか?」


sheep「のどのところに、何かがつっかえているような」

「それを感じてみてください」



のどにつっかえているもの、
これは、
蛙の卵。

細胞分裂しかけて、サッカーボールみたいになってるやつだ。


「サッカーボールみたいな蛙の卵がつっかえています」

「それはどんなですか?」

「薄い透明の膜に包まれていて、
脳みそみたいな灰褐色で、プニプニしている。
つっつけば破れて中身がブワッと飛び出しそう。
だから怖くて触れない」




「怖くて触れない」
やっぱりこうきたか…




「破れてしまったら、どうなるんだろう?」

「中身が飛び出して、壊れてしまったらもうおしまい。
 そんな感じがする」

「壊れたらもうおしまいって感じなんですね。
 そうしたらどうなるんだろう?」



おしまいになったら、どうなるんだろう?
この卵が壊れたら、もう代わりはないのだろうか?

そんなこと、今まで考えたこともなかった!



「そんなこと考えたこともなかったです。
 ただただ怖くて触れなかった」

「ただただ怖くて触れなかった」


じっと見つめていると、
蛙の卵だと思っていたものは、
黒いチリチリした塊に変わった。
丸めたスチールウールのようだ。

「…卵だとつつくと破れてしまうけど、
スチールウールなら、つついても破れることはないですよね…」

「触れそうですか?」

「うーん」


触れるかなあ



さらに見つめていると、
その黒い塊に目がついた。
チョコボールの「キョロちゃん」のような、
くるくるした目が。
080208キョロちゃん

セッション報告大詰め(1) 反発しながら依存してる

先日、カウンセリング講座の審査に落ちたことを書きました。

ボランティアの養成講座とはいえ、
3年半もいろいろと悩みながら勉強するので、
かなり「はまり」ます。

そうして臨んだ最終審査に落ちてしまうと、
「まるで全人格を否定されたように感じ、落ち込む」人も多いと聞いていたので、
自分もどっと落ち込むと思っていたのですが、
くやしい気持ちはあるけど、わりと冷静です。




正直言って、
わたしはあの講座の現状にいろいろと疑問を抱いていたんです。

落ちてみて初めて思ったのですが、
「自分のほうは相手を嫌いなのに、
相手のほうからは受け入れてもらえるって思っていたなんて、おかしいや」と




批判の念を抱きながらも
何年も続けてきたのは、
あそこの講座に「権威」を感じていたから。
(賛否があると思いますが、わたしにとっては「権威」でした)



内実には反発しながらも、
権威にすがっていたのです。


カウンセリング学校だけじゃなく、
いろんなものに対してわたしはそうです。
父にも、夫にも、他の社会のいろいろなものに対しても、

反発しながら依存してしまう。


今回の経験を通じて、
反発しながら依存してしまうことが、
自分でとてもイヤなんだなあと感じました。

なので
今回のセッションは、このネタから始まりました。





あぜさん「依存でなくて、利用だったらいいんですけどね。
      自分があって、
      自分のために何かを利用していると思えればいいけど、
      自分がないから、何かへの依存になってしまう」



何かに依存しなければ自分は存在できないと思ってしまう。
結局、自分がないんだなあ…


あぜさん「それをワークのテーマにするのもありですけど」


sheep「…」



「結局、自分がない」
わたしはいつもそこで止まってしまう

…止まってしまっていた、

今までは。



でも今日は止まらない。
そこを何とかしたいんだから!


sheep「…はい。お願いします。」

あぜさん「ではまず目の前に、お皿を2枚置いてみてください。」


大きいお皿を2枚。右と左に置きます。

「どちらかに反発する自分が乗っていて、
 どちらかに依存する自分が乗っているとイメージしてみてください。
 どうですか?」


「何となく右側のほうがくっきりと見えるような。
 左側のほうはモニャモにゃしているような。
 右のほうに反発する自分が乗っているみたいです」


「はい。どちらから取り組んでもいいんですが…どうしますか?」

「では、はっきりしている右側のほうから行きます」

「では、そのお皿をなんとなくボーッと見てください。
 何が見えるとか、どんな感じがするとか…」




はっきりしてるけど、固いわけじゃない。やわらかいんだ…液体のように。


sheep「お皿の面が、池の水の面のように見えて来ました」

(つづく)

セッションをふりかえって

こうしてセッションを振り返って書いてみて、

わたしは自分がずっと前に
あぜさんとそっくり同じことを言ったことがあるのを思い出した。

(その人の場合はお母さんとの葛藤だったけど…)





わたしは言った。
「あなたはお母さんとは違う。だってあなたは自分を振り返ろうとしているんでしょう」って。

ひとつひとつ、
ネガティブなものを手放して、
最後にクライエントはこう言った。
「どんな人でも、わたしも、それなりの役割を果たしているってことなんですね」と。


どんな人でも、それなりの役割を果たしている。


「そのとおり!そのとおりですよ!」って、わたしは言ったんだ。




おかしいよね
自分で言ったことが、
自分でわかっていなかったなんて。


おかしいよね
自分はできないのに、
人には「大丈夫!」って言えるなんてね。



なんだかとってもしみじみ面白い…

セッション報告5  B´だからできること

sheep「わたしは仲介者の役割を果たしていたんですね」

あぜさん「家庭の中だけじゃなくってね、
社会の中でもそういう、AとBの人の間に立って、
二つの違う立場をつなげるっていうことができると思うんですよね」



sheep「AとBの間に立って、つなげる…? 
枠の中でちゃんとやっていけるAの人と、
枠をはみ出してしまうBの人をつなげる…」




そういえば、わたしは引きこもりの人の支援をしたいと思ってるんです。
あの人たちは、社会の枠からはみだしてしまった人たちでしょう。
今の社会の中ではやっていけない。
でも、ホントはきっとすごくいろんな可能性を持ってると思うんですよ。
そういう力を活用しないのは、社会にとって損失だと思うんですよ。




そういえば、ウツの人もそうですよね。
がんばりすぎて疲れてしまったんだとか言って、
薬飲ませて麻痺させて、
同じ会社に戻して「社会復帰」できた、とか言っても、
今までの何分の一の力しか出してはいけないっていうんでしょう。
そんなの全然治ったことにならないでしょう。

ウツの人は、今までいた枠にうまくはまらなくて、疲れてしまっただけだと思う。
その枠から外に出れば、
元気になって十分力を発揮できるような場所があるんじゃないかと思うんです。



あぜさん「ね、できることいっぱいあるでしょう?」



自分は枠からはみ出していながら、
枠の中にいる人の気持ちもわかる。

社会の枠の中でちゃんとやっている人に支えられていることがわかっていて、
その人たちに感謝しながら、
枠からはみ出しちゃった人たちのユニークな良さを、
みんなに広めていく。


B´のわたしなら、それができる…?

それができれば、いいな!












今回あぜさんは、いつにもまして走っていましたね。
(わたしのスピードが遅かったのかもしれませんが
どこまでついていけたのかは、わかんないけど、


とりあえず、
いま一つやりたいことができたんです。

知り合いにひきこもりのサロンをやっている人がいて、
以前「sheepちゃん、うちの子たちにパソコンを教えてくれない?」と
言われていたんでした。
働き出して、時間がないから無理だと思っていたけど、
会社に新しい事務の人が入ったら、
わたしは休みがとれるようになるよね。

そしたら、その子達のところに行きたいな!

パソコンが出来たからって、外に出て行けるとは限らない、
パソコンのスキルよりコミュニケーション能力のほうが大きな問題だとは思うけれども、

少しずつ、自信をつけてもらえたらいいよね




それが、この春からのわたしのです。

(この項おわり)

セッション報告4 仲介役

あぜさん「お父さんは、上ばっかり見ていて、自分の足元に影を作ってしまったような気がする…」

sheep「父は自分を省みるということがない。足元の影を振り返らなかったんですね。わたしたち家族はその影に覆われて、苦しんでいたんですよね…」

あぜさん「でもsheepさんは、お父さんと違って、自分の足元を振り返ろうとしているんですよね」

sheep「ああ、そうですね。自分を振り返ろうとしてます、今もまさにそうです」

あぜさん「sheepさんは、自分はBに近いのに、Aの人の気持ちもわかるから苦しんでいる。それってえらいんじゃないですか」

sheep「


確かにそうだ。
わたしはBの父に近い個性を持ちながら、
自分と違うAの母の苦しさがわかる。すごくわかる。

わかって、その苦しさを癒そうとしている。
そのために自分を振り返り続けている。

これって、えらい?

sheep「…わたしって、えらいかも」


Bのダメさも、良さも持っている。
そのうえAの気持ちもわかる。
対立する二つの間に立って、仲を取り持とうとしている…


sheep「今まで、中間にいて板ばさみになって苦しいとばかり思っていたんですけど、
中間にいるわたしのありようは、これでいいんじゃないか。
ありじゃないかって思えてきました」



わたしは家庭内の仲介役だったんだ。そのためにAの母とBの父の間に立っていたのだ。


(つづく)

セッション報告3 『Bダッシュ』

少し間が空いてしまいましたが、
セッション報告の続きです。


お父さん=だめ=わたし
わたしの心の中には、その図式が刻み込まれている。

ここまでは、
以前にも書いたことがあったと思う。

お父さんにそっくりなわたしは、どうせダメな奴なんだ! っていうのが、
心の中で強力なブレーキになっているんだと思うのです。

どうせダメ。
何をやってもダメ。
ちゃんとできない。
何かすれば迷惑をかける。

いっつもそんな感じがして。



それを何とかしようというのが
セッションのテーマでした。





あぜさん:「お父さんに似てるからダメ」じゃなく、
      「お父さんに似てるけど、いいとこもある」というように変わればいいんですよね。


sheep:「ああ、そんなふうに思えれば…
      ラクになるんですけど…




そのとおりなのです。

それしかない。







まず考えてみると、
父=だめ
という前提からしておかしい。

父は家庭ではダメだった、というだけ。
外ではいいところいっぱいあった(それさえも認めたくないけど)

父はアイデアあふれる、社交的な、ユニークな、面白い人だ。(認めたくないけど)
枠にはまらない自由な人なのだ。







父=だめ
と根深く思ってしまうのは、

自分が父にさびしい思いをさせられたからもあるけど、

母の父に対するネガティブな感情を、
自分が父の代理として受け止めなければならなかったというのが
すごく大きいと思うのです。




わたしはいつも母のようになりたくて、
ちゃんとできる人になりたくて、
努力し続けてきた。

素のままだと父に近い自分。
ほうっておけば自分勝手になり、枠をはみだしてしまう。
だけど、
なんとかして母に近づこうとがんばって、
できなくて、
自分を責め続けてきた。


わたしの元々のありようは父に近い。
でも気持ちは母の味方。
父にも母にもどっちにもなれず…



あぜさん「sheepさんから見て、
      お母さんのようにちゃんとできる人を『A』の人、
      お父さんのようなできない人を『B』の人とすると…」


sheep「そう、わたしは『B´(ダッシュ)』。AにもBにもなれない」

あぜさん「まるで中間管理職のように、間に立ってね」

sheep「板ばさみになって。苦しかった~」



(つづく)

セッション報告2…=わたし

父の長所は認めてはいけなかったんだ。

だって、父は母をすごく苦しめていたから。


お給料は家に全部入れる、
パチンコも競馬もしない、
暴力を振るうわけでもない、

父は形式的にはどこも悪くない。





でも、
愛してもらえない、
ふりむいてもらえない、
こちらの思いやりは、父の心を素通りしてむなしく消えていくだけ、
何の反響も返ってこない。


それがどんなに苦しいか…




そんな母の苦しさを、わたしは受け止めていたんです。
全部受け止めなければならなかった。

だって、わたしは母にとって父の相似形だったから。

母は
「お父さんはだめだ、もういやだ」と言いながら、

わたしに「あんたはおとうさんとそっくり」と言いつづけた。

そのときのぎゅっとしかめた母の表情、
生々しく目に浮かぶ。


お父さん=だめ=わたし
我が家はそういう図式だったんです。
わたしの心の中には、その図式が刻み込まれているんです。


「おとうさんはだめだ」と母が言うことは、

わたしに向かって「あんたは嫌いだ」と言うのと同じこと。


母が父の愚痴をこぼすのを、
わたしはずっと聞き続けた。
心の中で、
「お母さんごめんなさい。ごめんなさい」と、父の代わりに詫びつづけた。


それはとても辛いことだよ。


わたしが母と一緒になって
「お父さんはだめだねえ」
「イヤだねえ」と言うことは、

「わたしはダメだ」と言うことと同じ。

「わたしはわたしが嫌いだ」と言うことと同じ。


それはすごく辛いことだよ。
今にして思うとね…




(つづく)


セッション報告1…父の長所

さて、気をとりなおしてセッションの報告だい!

このまえ「わたしのブレーキを握っているのはお父さん」って書いたとおり、

父の話をしました。



前回のセッションでは、
自分には「ちゃんととしなくちゃいけない」っていう
脅迫的な思いがあることを確認したのね。



ちゃんとしなくちゃいけない。

家の片付けをちゃんとしなくちゃいけない。
お金の管理をちゃんとしなくちゃいけない。
家族の世話をちゃんとしなくちゃいけない。
もちろん、社会人としてもちゃんとしなくちゃいけない。
…エトセトラ、エトセトラ

でも現実には
全然ちゃんとしてなくて。


ちゃんとしなくてはいけないと思い込んでいるのに、
ちゃんとできない。
それで自分を責める。
それがとても辛い。




で、父が出てくるわけですが、

わたしにとって父とは、


「全然ちゃんとしていないのに、
まったくそれを気にしていない」
人なのだ。



父は片付けなんて、したことがない。
父の部屋はゴミ部屋。
まさに足の踏み場もない。
母亡き後は家中がそんな感じで、
わたしは実家に帰るたび、
まず
漂白剤片手にトイレの掃除から始めなくてはならなかった。



父は家族をまったく省みなかった。
自己中で、思いやりがない。
家族の相手などまったくしなかった。
たまに話をしても、
「このひとはこちらのことなど何とも思っていないんだなあ」と思い知らされるだけ。



家中を散らかし、好き勝手に振舞う父のために、
わたしたち家族は非常に迷惑させられ、
苦しみ続けてきた。




お金の管理については、
わたしよりはできるみたいだけどね…




父はサヨクで、組合活動をしていて、
「世の中を良くするんだ」と言っていた。(今も)

でもわたしは思っていた。
「自分の家族を幸せにできないお父さんに、
世の中を良くすることなどできるわけない」と。

(実際、何十年も活動してるのに、
父のおかげで世の中が良くなった形跡はない)







…ちょっと、父のことをひどく書きすぎましたわ


そんな父だったけど、
外ではとっても人気があって、
退職後は様々な趣味を楽しみ、そこで評価され、友達もたくさんいる。
「すばらしいお父さんね」と、わたしは何人にも言われたことがある。



家では自分勝手でサイテーのお父さん。
でも外では自由で面白い人と周りから慕われ。


そう、父は外ではいい人だったのだ。
良いところがたくさんあったようなのだ。


問題は、
そういう父の長所を
わたしがまったく感じてこられなかったということ。

(つづく)

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